まつや のおかめ抜きと月見そば

食べ歩き ,

「こんなものが出来るんだねえ。わたしゃ店に入って一年だけど、初めて見ました」。
年配の中居さんに、そう言われた。
「おかめそばの台抜き(そば抜き)」である。
天抜きもいいが、これもまた格好の肴となる。
入ります種は、かまぼこ二枚、むすびかまぼこ一つ、大判の海苔一枚、椎茸の飴煮一枚、筍煮二つ、ナルト一枚、玉子焼きの薄切り一つ、ほうれん草である。
どうです。酒飲みなら充分に飲めるじゃありませんか。
熱々の甘汁に浸かって、気持ちよさそうにしている種を、一つずつ掴んでは、味を確かめ、燗酒を口に運ぶ。
くぅ。たまりませんなあ。
途中で、柚七味をかけて味変するのもいい。
ちょいちょい熱いつゆを飲み、すかさず酒を追いかけさせ、出会わさせてやるのもいい。
そうそう、海苔は序盤に食べちゃいけませんぜ。
しばらく中に沈めておけば、海苔のうまみが溶け出して、つゆがちょいと濃密になる。
そのつゆでまた酒を運ぶ。
こうして30分ほど楽しめるってぇもんですぜ、旦那。
さあしめはどうしよう。
今日は「月見そば」にしてみた。
やがて運ばれた「月見そば」を見て、惚れちまったよ。
昨今は、かけそばに卵を割り入れただけの「月見そば」が多いが、こいつは違う。
ほうれん草が作った緑の山々の上に、黒茶の空を従えて、むら雲がかかっている。
軽く火が通った白身のかすみ具合に、情緒が漂う。
そしてむら雲の真ん中で、まあるいお月様が微笑んでいらあ。
昔の人は風情があったなあ。
白身をそばにからめて食べりゃ、ぬるんとした食感がそばを包んで面白い。
そうそう、黄身は早々とつぶしちゃいけませんぜ。
白身を食べ終えてからつぶす。
それも一気に流れ出さぬよう、加熱が進んだ裏の方をひっくり返してから、箸を入れる。
輝く黄身の真ん中にそばを浸けて、食べる。
黄身の甘みがそばと出会って、なんとも優しい気分となる。
ああしまった。
この味わいのために、燗酒を残しておくんだった。
「神田まつや 」61品全メニュー制覇への道 あと16品目。