なにより驚いたのは、清潔で、明るく、油の匂いがしない。
半そでの、汚れのまったくない白いユニフォームを着て、きびきびと働く男女は、動きにムダがない。
やがてその一名がやってきて聞くことには、
「いらっしゃいませ。ロース、ひれ、串カツ、どれになさいますか?」。
表情が柔らかで、「よくいらしゃいました」という気持ちがこもっている。
「ろーす」。
初心者とばれぬよう平静をよそったが、ばれたに違いない。
ビールも頼みたかったが、タイミングを逸した。
やがてどうして分かったのだろう、順番が来て席に案内された。
右も左もとんかつ。
黙々と食べ、黙々と食べ終えた客たちは、満足感で顔が火照っている。
厨房も活気があって、リズミカルだった。
職人が軽やかな手つきでかつを切り、皿に載せた奴、あれは僕のロースに違いないと見ていると、案の定すみやかにこちらに向かってきた。
白い皿に鎮座したとんかつとキャベツ。
皿の手前に盛られた辛子が鮮やかだった。
たまらずソースをかけ、ほおばった。
「んぐっ」。
うめいた。
衣の香ばしさに目を細め、肉の存在感にのけぞり、ご飯や豚汁おいしさに唸った。
こんなおいしいものがあったのか、ちきしょうである。
この店の大ファンだった池波正太郎が記した、「皿の上でタップダンスでも踊りそうに、生きがいいカツ」は、口の中で跳ねて肉汁を滴らせ、圧倒する。
元気がよすぎて衣がはだけ、肌をさらしてしまうのが難であるが、時々繕ってやる。
後日、この衣はがれ現象が食通の間で賛否を呼んでいることを知ったが、否定派もサービスの素晴らしさをもってして、大目に見ちゃうよとしているらしい。
中でもキャベツ補給がすばらしい。
少なくなると、若い女性が走りよって、「おかわりはいかがですか」と、可憐な声をかける。
食通のおじさんたちはこういうのに弱いのだろう(いまの僕も弱い)。
これもまた池波正太郎が書いていたが、常連が、「もう、ここに来たら、バカバカしくて酒場やクラブへはいけませんよ」といったという。
もちろん当時も心奪われ、調子に乗って三回おかわりした。
「まだ一枚いける」。
そう思うほど後味の軽さで、名店のとんかつというのは、こういうものなのかと、一歩大人の世界に踏み入れたような気がした。
充足感にのぼせ、顔が火照った。
すかさず女性から蒸しタオルが手渡された。
やられた。
大人の世界は深い。
とんかつのうまさとサービスの心に打たれた、「とんかつ少年期」の話である。