それは確かな意識があった。
とうの昔に成仏されて、干され、遠方まで運ばれ調理されたというのに、人間を焦らす意識があった。
食べるとねちっと歯が包まれ、噛んで噛んで、溶けるように消えていくのだが、その間に舌を弄ぶ。
ねちっ、てろてろと、楽しむかのように舌や歯を舐め回し、にかわ質の甘味を滲ませながら、喉へと落ちていく。
中国人は、この食感の、色気とはかなさに惚れ、珍重したのだろうか?
花膠。ファーガウとも呼ばれる、絶滅危惧種の魚であるトトアバの浮き袋である。体長180㌢にもなる巨大魚ならではの大きな浮き袋は干され、水だけで10日間ほどかけて戻し、調理される。
とてつもなく高価で、この一皿分の浮き袋の原価は、1万円ほどするという。
その希少な浮き袋を、来日中の香港聘珍楼料理長に料理をしていただいた。
金華ハムのスープで、スッポンのエンペラと三日間塩漬け熟成させた鮑と共に煮込まれている。
干鮑でも蒸し鮑でもない食感と香りを持つ鮑も、てれんと舌に甘えるエンペラも、滋味深いスープの中で、心を溶かす。
しかし厚さが3㌢ほどある花膠は、貴婦人のような品と娼婦のようなたくましさを混在させながら、僕らを翻弄する。
中国料理の深淵を覗いた夜。 横浜聘珍楼にて。
それは確かな意識があった
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