料理の余韻とは、味であり、香りであり、肌触りである。
だがそのお椀は、違った。
羅臼昆布の深い滋味や、そら豆すり流しのたおやかな甘みは、たなびいている。
だが余韻は口の中ではなく、心にあった。
飲み終わった時の多幸が、長く長く居座っていて、目を瞑れば、再び膨らんでいく。
一口つゆを飲んだ時の、「ありがたい。ありがたい」と、心で呟いた想いが、渦巻いている。
なぜだかはわからない。
ただ考えるに、お椀は、純真な美ではなかったのか。
母の手から感じた温もりや、眼差しの奥に潜む慈愛と、似ている。
なぜかはわからない。
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」
そんな小林秀雄の言葉が、ふっとよぎった。
銀座「大夢」5月
「さおり」そら豆すり流し、焼きそら豆、小豆、ねいものお椀





