いつか別れはやって来る。

いつか別れはやって来る。

寂しく厳しい、恐ろしいその日はやって来る。
叶うことならこのお椀を、永遠に飲んでいたい。
僕は歳を重ね、10歳上のご主人も、歳を重ねていく。
そして誰も受け継ぐことがない一つの料理は、静かに消えていくのだ。
「焼きこちのお椀」。
ナスを丸ごと炭火の中に突っ込んで、丸焦げにする。
堂々たる身の大きさ誇るコチに、串を打ち、炭火で焼く。
出汁をとり、味付けを施して椀に張り、コチと皮を剥いて切ったナスを沈める。
つゆは、淡味ながら、東京風のこっくりとした味の柔らかさが漂い、そこへ焼きなすの香りとコチの滋味が溶け込んでいく。
柚子片を入れるなんて野暮はせず、三つ葉の数や切り方は精妙で、揺るぎない。
「ああ」。
充足のため息だけが、閑寂とした店内に響く。
ナスをかじって甘みに目を細め、コチを噛んでは、凛々しい旨味に唸る。
そしてゆっくりとつゆを飲む。
「ああ」。
この椀に、言葉はいらない。
僕は毎回毎回、いつか来る別れを予期しながら、その味を舌に刻み、鼻と目に焼き付ける。
こうして東京の財産であるお椀は、人生の一瞬が、いかに大切かを教えながらなくなっていく。
荒木町「たまる」にて。