〜酒亭マイベスト〜

日記 ,

〜酒亭マイベスト〜
「鯵が、ちっともあがらくなってねえ」と、おかみさんが嘆いた。
以前こちらでいただいた鯵の刺身は、都内の一流寿司屋でも出会うことが稀な、なめらかで品のある脂が乗った逸品だった。
「うちの魚屋さんで扱っている鯵は、島根ですよ」と、おかみさんがまた嘆く。
まったく獲れないわけではなく、おかみさんの目に適う鯵があがらないのだろう。
小田原で夏に、いい鯵が獲れない。
日本の魚はどうなっていくのだろうか。
ここは、日本で三本の指に入れたい居酒屋である。

湯島「シンスケ」。名古屋「花いち」。そして小田原「杵吉」。
品が漂うおかみさんが。一人で切り守る。
「お刺身なら今日は、カツオとイカがあります」。
「ではそのふたつをいただけますか」。
どちらも塩でいただいた。
カツオは、すらっとキメが細かい身質で、いやらしさがない。
ケンサキイカは、身のダレがなく、すっきりと甘い。
夏である。
「今日はスミヤキが入っています。1日塩していますから、今夜がちょうどいい頃合いね」。
スミヤキとはこちらの呼び名で、正式名はクロシビカマスという。
だがまったくカマスとは、縁もゆかりもない。
昼間は深海にいて、夜になると浅い場所に浮き上がって獲物をとらえて食べる。
どう猛な肉食魚である。
体が黒いのでスミヤキと呼ぶのだろうか。
日焼けしたサワラといった風で、見た目には、どうにも美味しそうには思えない。
筒切りを焼いてもらった。
中央に箸を入れ、観音開きにして、太い骨を取ってからたべる。
ああ皮下がうまい。
コラーゲンがたっぷりで、脂に少し下品な香りがある。
肥満気味の、下町育ちのタチウオといった風でもある。
なので、酒が進む。当然ご飯で迎えたら、おいしかろう。
「おいしいわ」と、顔をほころばすと
「本当はね、もっとおいしいのは本スミヤキといってね。もっとでかい仲間がいるの。長さが一メートルくらいあって、一匹1万円近くするけど、あれば必ず買っちゃう。でも今は幻の魚になっちゃた」と、遠くを見る。
おかみさん、ここに来るたびに勉強になり、心も休まるわ。
おぼろ豆腐と春雨サラダもおいしかったよ。
次に来るのはいつかわからないけど、秋には来たい。
その時には、また鯵に出会える気がするよ。