「精緻」。
シェフの料理を食べると、いつもこの言葉が思い浮かぶ。
「精緻」と言っても、堅苦しいのでもない。
「精緻」と言っても、よそよそしいのでもない。
イタリア料理特有の、てらいのない奔放な自由さに溢れて、どこまでも明るい。
それなのに、精密な機械のように狂いのない味なのである。
赤貝と木の芽のペーストのパスタも、赤貝の昆布的な甘みと微かな鉄分が木の芽の香りと共鳴する瞬間だけが切り取られて、美しい。
ノドグロとサフランのリゾットだって、特に珍しい料理ではない。
だがダレやすいノドグロはきりりと勇しく、それをリゾットが暖かく抱きしめる。
ノドグロの勇壮とリゾットの優しさの出会いがよく、それぞれの量も精妙に見切られている。
また牛テールの煮込みのタリアッテレも、余分がない。
濃密だが綺麗なソースは余すことなくパスタに絡まり、食べ終わってもあまつさえは少しも残らない、
炭火で焼かれた、復活して石黒さんのホロホロ鶏は、命の躍動感が口の中で爆ぜて、鼻息が荒くなる。
これらきれいでいて食材の味が凝縮され、かつうますぎない料理を、僕は毎月食べたい。
叶わないけどね。
白金「三和」にて。