「料理の説明が爽やか」

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「料理の説明が爽やか」。
同席者が言った。
須本シェフの料理の説明には、「どうだすごいだろう」という見栄がない。
実際は、「どうだすごいだろう」食材が使われ、初めて出会う「どうだすごいだろう」という技と手間がかけられているのだが、そんな自慢など微塵も感じられない。
「長野県野辺山の雪の下にあって、まだエグミが出てない蕗の薹をジャガイモとスープにしました。そこに青森の寒平目のムースと北海道の馬糞ウニを加えてあります」。と、さらりと話される。
ここに至る苦労と試行錯誤は相当あっただろうに、そんなことも感じさせず、まるでその辺にあった葉っぱを摘んで、美味しく仕立てましたよと言っているような快活さである。
それは、高級食材もそうでない食材も、同等に敬愛し、丹念にその命を生かそうと考え続けてきた人の言葉なのである。
飲めば、雪下で栄養を溜めこみながら、じっと雪解けを待つ蕗の薹の養分が溢れる。ジャガイモはつなぎだけで、ほとんど感じさせない精妙さである。
さらにそこへ寒平目とウニが混ざる。
正直に言えば、ヒラメとウニはやりすぎだろう。ふきのとうだけでいいのにと思ったいた。だが
海の甘みと抱き合った蕗の薹は、そのほのかな苦味が生き生きと輝きだす。
「和牛と越冬白菜の中華蒸し」は、醤油とみりん、八角でにた牛肉を白菜の葉で巻いて蒸し、戻した燕の巣の上に置いた料理である。
細く切った白菜の芯は、上湯でじっくりと茹で、注いだ鼈甲色のスープは、大山鶏と干し貝柱のスープで、脇に添えたのは皮蛋の黄身は潰し白身は刻んで香りを残し、金山寺味噌と和えたものである。
なんともスープが滋味深く、充足のため息をつかせ、すべてが意味をなす取り合わせなのである。
「海老芋と活鮑の一皿」は、木耳を射込んだ揚げ海老芋の上にダシで炊いた鮑に、純度を高めた白い昆布ソースをかけ、鮑と肝をつぶして作ったコンソメを注いでいる。
鮑の中で鮑を食べるという料理は、コンソメに目を丸くさせられる。
肝も入っているというのに、雑味が一切なく、うま味だけがジィ雨竜されたかのように凝縮しているのである。
そして先日あげた「海老フリャー」と続き、「上州牛と六白豚のポシェ」へと流れていく。
サーロインの芯だけを、豚肉の薄切りで巻いてポシェするという、聞いたことがない料理は、その牛肉の断面の美しさに見惚れてしまう。
おそらくただのポシェではなく真空調理だと思われるが、その際のぶよっとした肉の食感がなく、脂の甘い香りとうま味に満ちたきめ細かい肉を噛む喜びがある。
その味わいの深さが濃い味わいの六白豚と調和する。
西京味噌にフォンドヴォーとカカオマスを混ぜたソース。
黒にんにくの液を混ぜて三ヶ月冷蔵庫で寝かし、医療用遠心分離機で純度を高めたエキス。
肉の上に乗っていた、エディブルフラワーとハーブに和えた塩気など、脇役陣も心憎く、肉を活かす。
「茸ご飯」とか書かれた締めに出された、コバルトブルーの塗りワンの蓋を開ければ、妖艶な香りが漂う。
ただのトリュフご飯ではない。
トリュフの香りをつけた卵黄をご飯の中央に落とし、上からウンブリア産のトリュフをたっぷりと削ってある。
まずはどこまでもエロい卵かけご飯を食べ、次に横に添えられた野菜のコンソメをかけ、これまたエロい茶漬けを食べる。
落花生のセミフレッドも、オイルを使わないドレッシング和えたサラダも、サラダにふりかける、ボルドーワインで煮込んだプルーンとぶどう、枸杞の実、ブルーベリー、蒟蒻も、素晴らしい。
時間と手間をかけ、計算されつくし、多く要素が盛り込まれているのに、こちら側の頭を疲れさせることなく、柔げる、名古屋「トゥ・ラ・ジョア」にて。