「不易流行」

食べ歩き ,

<不易流行を見つめ直す時期>
どうして東京の人間は、江戸料理という自らの素晴らしい食文化を捨て、京料理という幻想にはまっていったのだろう。
京都が持つ「ないものをあるように見せる」という魔力に、まんまと呪縛されてしまったせいか。
心の何処かに東夷という、引け目があったのか。
あるいは、吐故納新の精神に富む新しもの好きで、そそっこしい江戸っ子の気質が影響したのか。
今東京で、江戸料理は、ほとんど食べることができない。
八百善は博物館に入って変わってしまったし、大塚の「なべ家」も、本郷の「呑ん喜」も、「太古八」もなくなってしまった。
僕の知る限りでは、今食べることが叶うのは、なべ家からでた「山さき」、「ねぎま」、銀座「はち巻岡田」、そしてここ「たまる」、料理屋ではないが、料理研究家のうすいさんだけである。
江戸料理は、華美ではない。
気取りなく、すっと人の心に入ってきて温めるが、決して妥協することのない、頑固なまでの筋が通っている。
例えばこの「たまる」の「穴ざく」である。
穴子と胡瓜、ウドをさっとゴマであえた料理である。
食べれば素直に「ああ、おいしい」という言葉が口をつく。
酒が恋しく、あるいは下戸ならおまんまが恋しくなる料理である。
しかしこの「穴ざく」を作るためには、どんな穴子を使えばいいのか、胡瓜はどの薄さにどの時点で切って、どれくらい揉めばいいのか。
ウドの大きさと形状はどうするのか、ゴマはいつ当たり、どれほどの量であえるのか。
緻密に計算され、細心を貫き、綿密に調理されていった結実なのである。
それなのに、堅苦しくない。
「なんてえことはないよ」と顔をして、誰が食べても笑う。
「おいしい。私も家で作っちゃおうかな」と思わせる気軽さがあるが、決して再現はできない。
江戸料理研究家のうすいはなこさんは、この料理を食べて感動し、再現しようと、数十回やり方を変えて試作されたようだが、近づけなかったという。
この料理が持つ「さりげない凄み」は、江戸っ子が愛した「粋」の精神そのものではないだろうか。
九鬼周造が言うところの粋の精神、「垢抜けた色っぽさ」そのものである。
「通」を支え、「粋」という意識を発展させ、何はなくともこれさえ持っていれば心の要として間違いないという肝っ魂「意気」を大切にした、江戸っ子が産んだ料理である。
コロナ禍であらゆる価値観が見直される今こそ、この江戸っ子の精神に触れ、江戸料理を噛み締めながら、「不易流行」と言う言葉を考え直す時ではないだろうか。

「たまる」