「ボックル、ボックル」。

食べ歩き ,

紅葉に染まった山道を歩いていくと、竈から湯気が登っていた。

厨房では、野菜を蒸し、ヤンニョムやキムチを盛っている。

外の大鍋では、チョンクワン尼僧が、粥を混ぜていた。

ナズナの葉を刻み、何十回も木ベラを回しながら、粘度を増していく。

「ボックル、ボックル」。

鍋の表面が沸々と泡立つ様子の擬音を、韓国ではこう言うと、尼僧が教えてくれた。

胡麻豆腐を練るような入念さで、回し続ける。

塩を入れた。

塩は、新安の塩だという。

塩を作り、数年倉庫で寝かすことにより、エグ味や苦味を除くやり方で、昔日本も、皆このやり方だった。

やがて尼寺での朝食が始まった。

白いものは、つるにんじんを叩いた和物、野菜の蒸し煮は、自家製テンジャンに野菜の端材や唐辛子などを合わせて炊いた薬味をつけて食べる。

南瓜の味に目を開いた。

品種改良がなされてないせいだろうか、あまくない。

クタクタになっていながら、肉がしっかりとして、瓜科であるということを意識させる味だった。

黒く細い漬物を食べると、奈良漬のような味がした。

6年ものの大根チャンアチ(漬物)で、一年塩漬にし、醤油で一年、味噌で一年漬け、3年寝かせたものだという。

6年経ったのち、五味子やボッブンチャの糖分を塗って完成となる。

地平線の彼方まで穏やかな南瓜粥に、テンジャンや漬物、つるにんじんを混ぜて食べていく。

安寧が訪れ、瞑想したかのような平穏が沈殿していく。

「ふぅー」。

余計な力が抜け、息を吐く。

その瞬間、少しだけ、自然と繋がった気がした。