青山「タデの葉」

山菜21種類食べ比べ。

食べ歩き ,

青山「タデの葉」で21種類の山菜をいただく機会を得た。
一回で、しかも東京でこれだけの山菜を食べる機会はない。
一重に山菜と言っても様々な歯触りや苦味、甘み、香りがある。
かつて開高健は、雲古が緑になるまで食べ、「これほど舌と精神を引き締め、洗い、浄化してくれる味はない」と、書いている。
まさに食べ進むうちに、都会の味に汚された舌は洗浄され、本能に近くなっていく気がした。
思うに、苦味というポリフェノールは、山菜の防衛本能であり、生き延びるたびの策である。
虫や動物は食べないし、幼児も食べないが、アフリカを出て様々な新しい食べ物を食べてきた人類は、それを美味しいと感じる。
だがこれをことさら惜しく感じるのは、どうやら日本人の特質らしい。
かつて「エスキス」のリオネルシェフが山菜を料理に使われていたので、フランス人にとっての苦味とは何か? と、聞いたことがある
「苦味とは悲しみや痛みを連想させるものなで、人生を楽しむためにある料理に、フランス人は使わない。だが同じ文化でも、演劇や文学などは、人生の深みを表すために苦味を使う。
僕は最初日本に来た時は、まったく理解できなかった。だが長く試し、日本文化に触れるうち、次第にその意味がわかるようになっていった」。
思えば山菜は、ほとんどが大小の苦味を持つ有毒植物だが、人間にとっての有毒は少ない。
しかし、ドクゼリやトリカブト、スイセンなど、種類によっては死にいたらしめる山菜もある。
我々は今呑気に、山菜を美味しい美味しいといって食べているが、それは縄文時代、いやもっと昔からの先達たちの勇気と犠牲の上に立っているのである。
多くの山菜を食べながら、その希少で価値ある幸せを噛みしめた。