「わたしを噛まないで」。
食べようとすると、囁かれた。
葛を打ち、刷毛で落とさず、茹でられる。
つゆに沈め、輪違瓜と青柚子を添える。
椀に口をつけ、静かにつゆをいただく。
豊穣なるうまみに唸り、鱧の白き輝きに目を細める。
大輪の花を箸でそっとつかみ、口に運ぶ。
ねろん。
唇に艶かしい。
ねろん。
舌に滑り込み、横たわる。
歯で噛んではいけない。
舌と上顎で、ゆっくりと押しつぶす。
鱧は身を崩し、滋味を滲ませる。
一瞬、なにもない。
だがその後から、緩やかな甘みが、染み出してくる。
繊細にして清廉ながら、野生としてのしたたかさを感じさせる甘みである。
甘みは、実体が消えた後も喉の奥に居座って、夢見心地にさせる。
訪れたのは祇園祭の前日、宵山の日だった。
「祭の鱧は最高です。もう来週で終わりですね。今年も長く甘みは脂ゆらいやりましたが、やっとできるようになったと思ったら、おしまいです」。
森川さんはそう言われた。
この鱧は450gと大ぶりだが、脂が乗っているわけではなく、甘みは脂由来ではない。
一日に千本近く魚屋に集まる鱧の中から、大きくて脂のない、選りに選りすぐったものだけが店に運ばれてくる。
100年続く割烹と魚屋の信頼関係が生んだ味である。
怠惰な営みをせずに動き続け、多くの餌を喰み続けることによって、大きな体を得たアスリートな鱧なのである。
だからこそ、甘さに気品があるのだろう。
「真に強いものだけが、真に甘美であり続ける」。
フランソワ・ド・ラ・ロシュフォーク
京都「浜作」にて



