「デブスブリアンツァ」

包む。

食べ歩き ,

私はどうやら、“包む”料理が好きなようである。
ポッサム、タコス、生菜包の鳩肉ミンチレタス包、白菜漬物のご飯包み、自分で包む北京ダック、チャパティで包むサブジ、春餅など、すでに包んである料理より,自分で包む料理に、弱い。
親指,人差し指,中指で、皮の食感と重さを感じながら慎重に包む時、コーフンを禁じ得ない
こぼさないように、口に運ぶ時の緊張が、気持ちの高ぶりを呼ぶ。
そして口の中で皮が破れ,中の具材が現れ,味が広がった時、幸せな気分となる。
それは最終調理を自分で行う高揚であり、少しだけ予測外の味に出会うトキメキであり、新たな実体を作り出した達成感であるのかもしれない。
いや、「どうなるのかなあ」という心の中の澱が、一気に解放される、カタルシスなのかもしれない。
この法則を知ってか知らずか,奥野シェフは、よく「包む」料理を登場させる。
先月の料理がこれである。
「マグロと枝豆のサムギョプサル」と呼ばれて出された。、
マグロ、枝豆のファラフェル、カフィアライム、チシャ、ヨーグルトソース、パイナップルが重ねられている。
「最初はそのままで食べてください」と言われ食べれば、マグロの鉄分の香りを、こぶミカンの香りが、エキゾチックに演出する。、
次から包んで食べて驚いた。
いろいろなものが混ざっているが、素で食べるよりマグロの存在感があるではないか。
枝豆の甘みやヨーグルトの優しい酸味の中で、グッと血のうまさが競り上がる。
実は極薄切りのパイナップルの甘酸味が効いて、絶妙にバランスをとっている。
これはやはり“包む”というやり方がなければ表現できなかった味だろう
 
五月に「柏餅」というお題を出した答えもまた“包む」だった。
緑茶で作った、フォーボー味の生地に、コンフィしてからフリットにした稚鮎、蓼酢と筍のソースが重ねられている。
気を張りながら生地に鮎を包み、口に運ぶ。
途端に自分が鮎になって、川の中を泳いでいる気分となる。
すべての味が一体となりながら舌の上で舞い、胃袋へと落ちていく。
そうか。
“包む”には、味の発見という歓喜が生まれるのだった。
「デブスブリアンツァ」にて