昔割烹で「甘鯛の糸造り」をお願いして食べたところ、帰り際に言われた。
「初めて来られた方に、糸造りを頼まれて、緊張しました」。
彼の意図はわからない。
ただ身が柔らかく、厚さも均一ではない甘鯛を、いかに同寸に切るか。
切り口が立っているか。
塩の当て方や、寝かし方は最適か?
加減酢の塩梅は?
ツマは何にするか
などと、細いゆえに、一口で味わえる量が少ないゆえに、どう味わいが生かされるか、心を配る要素が多いのだろう。
しかしよくできた糸造りは、どうにも色っぽい。
少女の小指大のしなやかな細い身を噛みしだくと、ねっとりと舌に横たわり、淡い甘みがゆるゆると、染み出してくる。
そんな感覚を、目を閉じて味わいながら、ぬる燗を滑り込ませる。
時間をかけて楽しみながら、銚子一本を飲む。
甘鯛の糸造りはそうして僕らを幸せにする。
「辻留」 甘鯛糸造り 細切り独活 若芽、菊花、山葵
器:魯山人