僕は昔、東京のすき焼きを片っ端から食べ歩いた事があります。
その時一つの真理にぶち当たりました。
それは当たり前ながら気が付かなかった、「最終調理は中居さんが行う」というこの料理の特殊性です。
そのためベテランと若い中居さんでは、仕上がりに差がでる店が多いことに気がついたのです。
しかしこの「人形町今半」は違いました。
どの中居さんがやっても最上の出来となるように、技が磨かれているのです。
それは「焼くように炊く」という技なのですね。
それでは「人形町今半」に行ってみましょう。
暖簾をくぐれば、甘い割下の香りに包まれて、腹がグウと鳴る。
肉が運ばれると。仲居さんが、熱した鉄鍋に割り下を少量流し入れ、赤桃色の肉を広げていく。
肉は加熱され、沸点に達した割下に押し上げられて、小刻みに震える。
その瞬間、肉をさっと返したかと思うと、すぐに引き上げ、小皿に取り分ける。片面はレア。片面はミディアム。
これが炊くように焼き上げる、「人形町今半」の中居さんの真骨頂です。
この案配に一切の狂いがない。
さあ小鉢に溶いた卵に落として、口に運ぼう。
焼けた香ばしさが鼻を揺すり。脂の甘みが舌に広がり、割り下の甘辛味、卵の甘みが追いかけ、うっとりとした気分を呼ぶ。
肉は溶けるよう消えていき、脂は舌に残ることなく、すうっと切れていく。
これぞまさにすき焼きの醍醐味です。
そしてこの店は、シラタキや麩、野菜類も一級品で、驚くほどうまい。
さらに季節になれば、松茸や筍も参加する。
さらに締めには、ふわ玉丼が待っています。
割り下を少量入れ、溶き玉子を固めないようにふんわりと仕上げご飯に載せ、山椒をはらりと降るのです。
食べれば、卵と割り下、ご飯の甘みが共鳴して舌を包み込む。
大変危険な締めが待っています。
「人形町今半」のトリセツ
肉: 牛肉購買部長が、一頭一頭吟味した黒毛和牛の雌牛の肉が使用されている。
ザク;今半の焼印のある丁字麩は、京都のお麩専門店「麩嘉(ふうか)」で、グルテンが強くなるように特製オーダー
卵;御殿場で平飼いにされている鶏の卵を使用
割り下;料理長が糖度計できっちり測り仕上げる伝統のわりした
このすき焼きにハイボールをあわせる。「マリアージュではなく一回味をきりたい。そう考えるとハイボールか水割りがベスト」
銘柄を特定せず、その都度もっともすき焼きに合う黒毛和牛を購入している。時期により最優秀賞受賞牛
1895年に牛鍋屋として始まった「人形町今半」
新入社員は入社後の一カ月で立ちふるまい等の接客の基本をまずは習う。その後、フエルトで作ったすき焼きの具材そっくりのキットで、調理の工程を学ぶという。どこに何をいつ置くか、返す順番、返し方までを頭に入れたら、本物の食材で実践が始まる。客役の店長や料理長が試食をし、OKが出たら晴れてデビュー。早いもので3カ月、長くて一年、デビューまで時間を費やす
難しいのが、わりしたを一定の濃さにキープすること。“焼くように炊く”ことが絶対だ。炊くだけの状態にならないよう、薄く、でも決して焦げないよう、昆布出汁で調整をしながら量を見極める。慣れないうちは怖くてつい多めにわりしたを入れてしまうそうだが、練習を重ねることでクリアしていく。
指導にもお客に出す肉と同じものを使用するため、莫大なコストがかかる。しかし、同じ肉でないと意味がない。そうして時間とお金をかけ、いまは30名の中居さんが現場で調理を担当している。
「最初の一枚をいかに美味しく作れるか。まずはそこで感動させないといけません」