苺大福である。
どこにでもある、苺大福である。
口に運べば、赤ちゃんのほっぺに口づけしたようなときめきがあって、愛おしい気分になる。
歯がふんわり包まれると、「かおり野苺」が顔を出し、甘く、酸っぱいエキスを流し出す。
そこへ大納言のあんこが、丸く深い甘みを忍ばせる。
餅の厚み、苺、あんこ。
それぞれの量が精妙に計算されて、均整美を編み出し、心をゆっくり溶かしていく。
こんな苺大福なら、毎日食べたいと思う。
金沢「片折」
食べ歩き ,
苺大福である。
どこにでもある、苺大福である。
口に運べば、赤ちゃんのほっぺに口づけしたようなときめきがあって、愛おしい気分になる。
歯がふんわり包まれると、「かおり野苺」が顔を出し、甘く、酸っぱいエキスを流し出す。
そこへ大納言のあんこが、丸く深い甘みを忍ばせる。
餅の厚み、苺、あんこ。
それぞれの量が精妙に計算されて、均整美を編み出し、心をゆっくり溶かしていく。
こんな苺大福なら、毎日食べたいと思う。