京都に行くと、南座の裏へと足を運ぶ。
路地にぽつんと灯りがともる。
屋号は「あじ花」という。
お客はたいてい地元の客で、それも数々の割烹に行き倒したようなつわもの揃いが、
「丸鍋作ってや」などと、銘々が気ままに頼んでいる。
一月前に伺ったときの隣客は、「松葉」の社長さんだった。
気のいいお方で、今開けたばかりという、持ち込んだ大吟醸を振舞ってくれた。
「あちこちいきましたけど、いまはこのうちばかり」だそうな。
「まだ若いですけど」。
といって出された栗は、甘みに包まれながら野生を失ってない。
栗そのままのうまさを、ほんのりと膨らませて、味付けが一切邪魔をしていない。
自然の凄みを漂わせ、口をつぐませる。
鯛のおつくりに続いて
「今年の夏は暑うて、ようやく出せるようになりました」。
マナガツオの西京焼き。
味つけのほどのよさ。
しみじみとしたうまさが、積もっていく。
ぬる燗をゆっくりと口に運び、体の芯に染み渡る充実をかみ締める。
「ただの昆布巻ですけど」。
昆布巻きは、とろんとろんと豊かな海が舌の上で溶けていく。
昆布のミネラルと酒を出会わせ、ため息ひとつ。
大向こうを意識したご馳走でもなく、独創的でも個性的でもなく、珍しくもなき普通の料理。
しかし底に、満々と凄みを湛えている。
食べると、ほっと和むおいしさを与えながら、鳥肌の立つような高みがある。
これこそが個性か。
具合が程よい「鯛のちり蒸し」。
すっぽんのうまみを、綺麗に綺麗に生かした「丸吸」。
最後はシンプルにお願いした。
ぬか漬けの香気に目を細め、ご飯の甘みをじっくりかみ締める。
そしてイチジクのワイン煮。
むむう。なんたる味。
イチジクは生れ落ちたときからワインの味をまとっていたかのように、
煮汁とイチジクの味が、丸く一体となって、その優しさが、高揚した心をなだめ、座らせた。
京都「あじ花」
味はなあ。
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