レラは、自分を牛と思っていなかったらしい。
ジビーフで知られる、西川奈緒子さんの駒谷牧場に引き取られた、一頭のジャージー牛の物語である。
泰然自若として人間に媚びようとしないジビーフに比べ、人懐こく、ジビーフを追い回す時も、牛の群れではなく人間の後ろに立って、一緒に追い回していた。
そしてと畜場に送られる二日前に、自分の運命を察知したレラは、大粒の涙を流したという。
それはおそらく、自分の命が絶たれる絶望より、奈緒子さんと永遠に会えなくなる、哀別の涙だったのではないだろうか。
その味と香りは、どの和牛とも、ジビーフとも、ブラウンスイスとも、いや今まで食べたジャージー牛とも違っていた。
「腕肉の塩漬け」を食べれば、「もっと遊んでよう」と甘え、しなやかな肉が歯や舌や上顎に、まとわりついてくる。
そして余韻が、長い。
薄切りと厚切りにした「ハツのロースト」は、ほのかに甘い乳臭の中から、凛々しい鉄分が現れる。
「センマイ」は、和牛より薄く、薄いが、ザクザクと音が立つかのような痛快な歯応えを見せる。
パレルモのストリードフード「フリットラ」に仕立てた、牛すじや内臓の端肉は、リコッタとブルスケッタにされ、食べた瞬間に立ち上がって、大笑いしたくなるほどの快感が、体を突き抜く。
18時間煮込んだスープで、ラーメンのように仕立てた「小腸と青唐辛子のタヤリン」は、油脂とコラーゲンが溶け合った丸い食感と滋味が、クリームのように口腔内の粘膜にしなだれて粘りつく。
マッコ ディファーヴェを添えた「ウデ肉のサルシッチャ」は、クミンなどのスパイス香の中で、埋没していない存在感があった。
だがそれは、肉肉しい香りではなく、クミンに持っていかれないしたたかな味わいなのである。
最後は、レラ・サーロイン36ヶ月とジビーフのカエ・サーロイン 32ヶ月 のステーキだった。
カエは、味も香りも濃い。
草の香りをたなびかせながら噛むほどに、味が膨らんでくる。
一方レラは弱々しい。
今までの料理で見せた個性は少し消え、繊細な味わいを見せる。
だが噛んでいくと最後に、ふっと濃い味わいが現れる。
それは暗闇の中に灯された、小さなともし火である。
集中し、目を凝らし、よく噛まないと、見逃す味である。
ジビーフは気がつきやすい味だとしたら、レラは気づきにくい味かもしれない。
だが、最後にその味にたどり着いた我々に、美味しいとはなにかを、問うてくる。
奈緒子さんに託した村上牧場のご家族、そして愛情をかけて育てた奈緒子さん、個性の良さを伸ばした新保さん、料理した後藤シェフへと託されたバトンは、我々と受け渡された。
そのバトンは、我々の感覚を刺激し、様々な想像を掻き立てながら胃袋へ落ち、心と体のエネルギーへと変換されていく。
この日のこの味と香りを、一生忘れない。
脳の襞に深く、深く、刻みこんでこそ、レラの物語は永遠になるのだから。
メログラーノ レラの会
★ウデ肉の塩漬け スパイスとハーブマリネ
★センマイのドライトマト和え、ハツのロースト
★フリットラのブルスケッタ
★小腸と青唐辛子のタヤリン 18時間煮込みスープ�
★ウデ肉のサルシッチャとマッコ ディファーヴェ
★レラ・サーロイン36ヶ月/カエ・サーロイン 32ヶ月 レラは空豆と合わせた方の肉
★レラ・ミンチとリコッタ、濃厚トマトのパスタ