生まれたばかりの天ぷら屋である。
すがすがしい清潔感が漂う店内では、若きご主人中川崇さんが、全神経を鍋に傾け、黙々と天ぷらを揚げている。
クセなのか、揚げるタイミングを計る独自のリズムなのだろうか、菜箸をカチッカチッと鳴らしながら油に放った素材の状態を見極めて、時にはじっくりと待ち、時には素早く箸を動かしている。
えび、すみいか、きす、めごち、稚鮎、穴子、椎茸、ししとう、茄子、貝柱のかき揚げ。流れるように出された天ぷらを、次々と食べた。
すでに一流の味であるといってよい。特に穴子、きす、めごちは、十分に揚げ切っていて、こっくりとしたうまみが口いっぱいに広がる。修行先である茅場町「みかわ」の流れを感じさせる天ぷらだ。
吟味した素材に衣をつけて揚げる。天ぷらをこういってしまえば簡単だが、すぐれた江戸前職人の仕事はそれだけではない。
素材からどの持ち味を引き出すのか。客が来るまでいかに魚の鮮度を保つのか。卵、水、粉の温度管理。素材の下処理と固体差の見極め。衣の配合。衣の濃度。種による衣のつけ方の違い。油温。油への放ち方。種の違いや固体差に合わせた揚げ時間のコントロール。一流の天ぷらには、幾多の技と知恵が込められているのである。
こうした技と知恵を駆使し、天ぷらとはなにかという答えを示してくれるのが、「みかわ」である。魚の水分とクセを抜き、うまみだけを凝縮させた天ぷらは、素材をこう揚げたいという理想が明確に描かれているからこそできる仕事なのだろう。
希代の料理人、「みかわ」のご主人早乙女哲哉氏の元で十七年間修行を重ねた中川氏の天ぷらは、その精神と技を受け継いでいる。 顕著なのが穴子で、焦げる寸前まで、他店より半歩踏み込んで揚げ、濃厚な野性を感じさせるうまみをひきだしている。
先に述べたようにトップクラスである。しかし。彼のめざす、理想とする天ぷらには、まだ道程は長いのではなかろうか。ふとそう感じた。
「みかわ」と比較しようとする話ではない。
えびやすみいか、かき揚げは充分に上等なれど、まだ大向こうをうならせるようなすごみに欠けていて、理想を描き切れていないような、心の揺れを感じたからだ。
その上、まだ満席とはならぬ店が、連夜満席となったときの天ぷらの質の管理。決して天ぷらを真剣に食べに来る客が多いとは思えない現状、彼には越えねばならない試練が待っている。
試練を幾度も越え、仕事に応える客と呼応しながら、一歩一歩理想とする天ぷらに近づいていくのではないだろうか。
都内随一の天ぷらを、手放しでほめることもできる。だが、真の一流の仕事、江戸前仕事の真髄に触れた彼だからこそ、まだ誉めちぎらずにじっくりつきあっていきたい。そう素直に思わせる天ぷらであった。
修行時代、他の弟子たちとは唯一違って、彼は一度も早乙女氏から褒められたことがなかったという。おそらく中川さんの中に、さらに先に行ける感性を見出したからこそ褒めなかったのではないか。
秋のハゼや松茸、春の白魚、初夏のぎんぽう。季節を巡って彼の天ぷらをいただき、体験や試練を重ね、感性が磨かれていく瞬間に出会えれば、なんとも客として幸せなことだろう。
そうした意味で、僕にとっては、いま訪れるのが一番楽しみな天ぷら屋なのである。