「ぼこい」は、青山にあって、奇跡のような居酒屋である。
この界隈は、イタリアンは多くあっても、いい居酒屋が少ない。
しかし、「ぼこい」の30種類ほどある料理は、いずれも上質な素材と丁寧な仕事、独自の工夫が生きた、温かい味である。
名物は、「ポテトサラダ」。
なにを隠そう(隠しても意味がないが)私は、ポテトサラダ学会自称会長で、学会が選ぶベストスリーに選ばれている。
そして隠れた名物が、「鶏の立田揚げ」である。
これを頼む人は、決まって常連である。
最近は鶏の唐揚げブームの陰にあって、すっかり影が薄い立田揚げだが、「ぼこい」で食べると、あらためてこの料理の実力に納得する。
唐揚げとは、下味をつけた肉や魚を、素揚げもしくは、片栗粉か小麦粉で揚げた料理の名称で、広範囲の意味がある。
対して立田揚げは、醤油や味醂などで下味をつけ、片栗粉かくず粉で揚げた料理の名称だ。
さあ、立田揚げが運ばれて来た。紅葉の名所,龍田川にちなんだという、やや濃いきつね色に揚がった衣が、ちりちりと縮れて、いかにも歯触りがよさそうだ。
その衣に包まれ、しっとりと肉汁を光らせる鶏肉。矢も盾もたまらずかぶりつく。
熱い。
熱々の衣が、カリッと音を立て、柔らかな肉に歯がめり込んでいく。途端、鶏肉から優しい甘みが流れ出る。
なによりも衣がうまい。
カリッサクッと香ばしく、衣自体に味がある。
その食感と鶏肉の、対比的な食感のメリハリがたまらない。
鶏モモ肉と衣の、量のバランスが絶妙で、互いが互いを引きたてている。だから止まらなくなる。
合間に添えられたカイワレを食べてリフレッシュすると、さらに勢いが増す。
衣の食感を生かすため、レモンは上に絞らず、皿に絞って,浸けて食べるのがいいだろう。
酒は酔鯨の純米の燗が合う。
下味に糖分を使わず、醤油、酒、生姜という居酒屋仕立てゆえ、酒にもぴたりと添う。
おや、隣客も頼んだようだ。
どうやら同じ会社の上司と部下で、仕事上の煮詰りを、暗い顔で相談をしている。
沈鬱なムードに立田揚げが運ばれ、両者が箸を伸ばした。
その瞬間、「おいしいッ」。
部下の生き生きとした、嬉しそうな声が、店に響いた。