<隠れ家グルメ>「無庵」

食べ歩き ,

四月の空をぼんやり眺めていると、無性にそばが食べたくなってくる。
高く広大な、湖水のように澄んだ空。無数のきらめきが絹のようにたなびいた、寛大な空。
吸い込まれそうな青に、気分はうららかになり、澱んだ体が、軽く軽くなっていく。
そんなとき、ふとそばを思い出す。
晴れ渡る空を思い浮かべながら、清涼なそばを、つつぅーっと手繰りたくなる。
こんな空の日には、仕事なんかやってる場合じゃねぇ。昼から酒をとっぷり飲んで、ほろ酔いの頭と舌をそばで清めるのよ。

ああ、たまらねえと、早くもよだれが出てくる。
問題はどこで食べるかだ。香り高いそばに出会える店であるのは、当然。気のきいた肴も酒もそろえていてほしい。
だが都会の店はいけません。

四月の空が死んでいる。

だからといって、郊外の行列店もしらけちまう。
都心をはずした場所でひっそりと営むそば屋。子供客、家族連れはなし、熟年中心の客筋で、混んではいない店。
建物も調度品も、これ見よがしではないさりげない品が漂い、名店といわれる店にありがちな、そばを食べさせてやってるんだという店主の押付けがない店。
隠れ家であればなおいい。ロケーションによる非日常が、旅をした気分を運んでくる。そんな店で手繰りたい。
思い浮かぶのは、立川の

「無庵」である。

繁華街からはずれた閑静な住宅街のただ中で、店はひっそりとたたずんでいる。
木造一軒家の軒下には、大根の葉や干し柿がつるされ、藍色の長のれんがのんびりと垂れている。
柔らかな灯りと影が交差する室内は、土間風石造りの床が広がり、ご主人の手製だという杉の大テーブルと鈍重な松本家具が、間をおいて配されている。
黒光りする梁や柱。土壁に埋め込まれた古い屋根瓦。趣が光る骨董。
空間に彩りを添えるのは、マッキントッシュの真空管アンプが作り出す、温かいジャズの音色だ。
JBLのスピーカーから小さく流れるフォービートと、呼応するように響き合う客たちの静かなざわめき。
都会の束縛から解き放たれ、そばと酒と肴と、じっくり対峙する時の始まりである。
焼き味噌と佐賀県塩田町の酒東一を頼み、さてなにを頼もうかととほくそ笑んだ。
お多福豆煮、ピーマンのつくだ煮、煮鰯というつきだしで、焼き味噌前に一合をあけた。 さらに焼き味噌でちびちびやっていると、そばがきが運ばれた。
四つに分割されたそばがきを口に滑り込ませる。すると舌の上で、ふわりと身を交わすように消えていった。

後に残るは青々しい、野の香り。

そばのエキスを抱いたきめ細かい固体が、一瞬にして気体に変わる、見事なそばがきである。

酒を愛知県海部郡の義侠に変える。

腰の座ったダイナミックな味わいに、柿のソースを添えたあぶり鴨がとても合う。

さあ、そろそろそばを手繰ろうか。
極細打ちのせいろは、黒皿に盛られているせいで肌色が艶っぽく際立ち、一本一本に点在する黒い粒が皿と協調している。

まずはつゆにつけずにつるり。口元に勢いよく吸い込まむと、野草のような香りが喉奥にぶつかって拡散した。
脇目もふらず、一言もしゃべらず、そばをただただ手繰った。

舌を、上顎を、鼻腔を、喉を通りゆくはかない甘みを、いとおしむようにして、ひたすらそばを手繰った。
こうして無心にそばと向かえるのも、この空間が作り出す時間があるからだ。

店主が入念に計り、設け、供す時間。日常では出会えない時間によって、気が澄み渡っていく。
清々しい気分で店をあとにすると、空はまだ高く、凛と広がっていた。
「いい時間だった」。

空に語りかけると、雲がうれしそうに微笑んだ。