渡蟹と桃、メレンゲと内子パウダー。
間違いなく彼女は、不世出の天才だった。
いまだに蘇る味を反芻する。
これから決して出会うことないだろう独創は、鮮烈な個性を放っていたが、地平線の彼方まで、自然であった。
その自然感は、彼女の魚に対する誠実であり、地球に対する深い慈愛が生んだものだった。
ワタリガニはそそのかす。
我々の官能をくすぐりながら、微笑んでいる。
茹でられ、もっとも旨味を感じられる太さにほぐされて、そこにいるだけなのに、たまらぬ艶を湛えている。
完熟手前の桃のピュレが蟹と抱き合って、そっとエレガントを醸し、塩メレンゲの淡雪が、初キスの切なさを思い出させ、含んだ塩気が静かに蟹の甘みを膨らます。
次は、皿の淵に散らした内子のパウダーをつけてみよう。
すると、したたかなる蟹の情が蘇り、僕らは海の底へと引きずり込まれる。
魚の魅力を剥ぎ取り剥ぎ取て、裸の魅力と向き合って、味を構築する。
だからこそ、ギリギリの緊張感とたゆまなき均整美が生まれる。
僕は、そんな北山智映の料理がたまらなく好きだ。