「命をいただく」
我々は時折、この言葉を表す。
しかし概念として理解できても、実感、体感はできているのだろうか?
あるいは、できるのだろうか。
その事実を、痛いほどに突きつけられた夜だった。
「イルジョット」で、ジビーフ の次子と小五郎の肉をいただいた。
小五郎は2歳の雄牛、次子は18歳の経産牛である。
小五郎は、雄として生まれて来た宿命で、若くして屠畜された。
自然分娩、自然哺育、完全放牧のジビーフであるから、お母さんの愛情を一身に受けながら母乳で育ち、好きなだけ草を食み、ガブガブと水を飲んで育った、溌剌たる若牛だったのだろう。
一方次子はおばあさん(人間でいえば7~80歳)である。
痩せて、足腰が弱ってきたので、出産は今年最後ににし、離乳した頃に出荷予定だった。
だが、あまりにも痩せていたので、命には変えられないと、グラスフェッドのジビーフとしては特例的に、5月上旬くらいから毎日朝夕2回1kgずつ濃厚飼料を与えたという。
5/20に出産した。
だが死産だった。
次子さんは出産後、半日以上立てなかったが、痛み止めを打って、ようやく立ち上がり、その後は自分のペースで、ゆったりと歩けるようになった。
だが他の牛よりも動けないため、食べられる草の種類や量が少ない。
そのため出産後も、朝夕1kgずつの濃厚飼料を与えた。
次子さんが、歩いて屠畜場に向かうトラックに乗り、自力で立ちあがってトラックから降りられるのは、そう長くはないだろうと判断し、6/20に出荷し、6月21日屠畜をし、7月1日に枝肉となりサカエヤへと運ばれた。
新保さんはブログに書いていた。
「次子さん大変だ。想像していた以上に手当てしにくい。いやできないかも。
いままで数えきれない経産牛を扱ってきたが別格だな。なんか原点というか、僕が修行していた20代の頃に触れていた経産牛を思い出した」。
おそらく想像を絶する苦労があったに違いない。
だがシェフに繋げて、1人でも多くの方に喜んで食べてもらいたい。
その一心で手当てされたのだろう。
それが「イルジョット」に届き、昨日高橋シェフの手で料理となった。
まず皆でテーブルを囲みながら、僕が次子さんのストーリーをお伝えした。
涙ぐむ方もいた。
次子さんの内臓は、純が極まった軽やかさがある。
達観した味わいといってもいい。
懸命に生き抜き、命のすべてを出し切ったあとに体に残された、平穏の味があった。
肉は、写真、向かって左が次子さん、右が小五郎である。
若い小五郎は、重力に逆らうように上部が盛り上がっているが、次子さんはたるんでいる。
たるんで、色合いも黒ずんでいる。
だから味が弱いのではないか。
そう思って食べてみたら、まったく違った。
小五郎をひと噛みすると、味が爆ぜる。
肉としての躍動が、一瞬にして口の中を満たしていく。
次子さんは静かである。
一つ噛み二噛みでは、味がうっすらとしか滲まない。
だがその後、意識を集中して噛んでいくと、次第に味が濃くなっていく。
いつもより多く噛み、噛み、味わう。
18年間生きてきた味を、一滴も逃すものかと味わう。
皆さんそうして、真剣に、押し黙って噛み、味わっていた。
肉の滋味が、血の味が、草の香りが、次第に膨らみ堆積して、喉に落ちる刹那、ピークを迎える。
濃密なそれは、「もっと噛んで、私の味がわかるまで」と、強要してくる味ではなかった。
「喜んでくれてよかった」と、静かに慈愛の言葉をかけ、「ようやくあなたの体と一つになった」と、別れを告げる味だった。