東京を代表する老舗である「室町砂場」でそば懐石のコースをいただき、強く心を打たれた。
伝統的なそばや肴に加え、桜切りそばやそば寿司、蛍烏賊と野萱草の酢の物や桜エビとうるいのかき揚げに、季節の洗練が集約している。これが老舗の底力なのか。
明治二年に創業した店を、五代目となる現当主村松毅さんが引き継いだのは、22歳と言う若さだった。幼き頃より祖父や父の仕事ぶりは見てきたが、まったくの未経験である。まず心にすえたことは、「10年間は下手にいじらず、変えることはしまい」ということだったという。
そうして年月が経ち、最初に変えたことは、そば粉と外粉の割合だった。先代までは、白米に憧れた時代だったように、雑穀としてのそばの野味を出しすぎぬようにしていたため、25%ほどの外粉を使い、それも目分量だったという。
製粉の技術が向上したことも手伝い、正確な二八の割合に変える。さらにここ八年は、もっと風味を出そうと、挽きぐるみを使っているという。
料理や種物にも、新たな料理を導入した。冬のあられ(貝柱)そば、秋の松茸そばに加え、春に「筍そば」、夏に「涼味とろろそば」を始める。
筍そばは、濃口ベースのかけつゆに若芽が合わないと考え、菜の花を添えた。涼味とろろは、薄口醤油で仕立てたつゆの上にとろろを流してガラスの器に入れ、薄茶と白の二層を見せて、涼しさを演出する。またコースでは、季節の変わりそばや、そばがきも提供するようにした。
村松さんは家業が落ち着くようになってから、通常の仕事をしながら、服部学園の夜間部に二年学び、さらに料亭でも二年間修行をされた。こうした新しい料理は、その結実であるという。
「三代目が、閉店後の賄いで、辛汁に余った天かすを入れて食べたらおいしかった。そうして生まれたのが天ざるで、元々新しいものも好きな家系なんです」。そう言いながらも「身の丈にあった商いをしろ」。という先代の教えを守り、商売を広げない。
そしてこの店は、サービスが素晴らしい。「いらっしゃ〜い」。「ありがとう存じます」。という言葉は、いつ聞いても心に響いて、心地よい。これは普段から心持ちを高めていないと、伝わらないことである。
「存じますといった言い方が持つ力もあると思います」と、村松さんは言う。まさに言霊の力だろう。商いをさせていただきありがとうございます。という精神こそ、老舗が持つ底力の根幹なのかもしれない。