上海蟹と出会ったのは、今から30年前だっただろうか。
最初は、これなら毛ガニの方がいいやと思った程度だったが、次第にそれとは違う魅力を持つことを知り、はまっていった。
昔は「中国飯店」が有名で、時期になると、芸能人がよく宴会をやっていたなあ。
出会ってから様々な店で、様々な料理をいただき、香港でも出会うことが叶った。
しかし上海の「蟹王府」に出かけて食べた時、今まで自分が知っていた上海蟹とは、違う次元があることを知ってしまったのである。
独自に養殖しているという蟹は、大きく、鮮度が高い。
狭い空間で育てられてはいないのだろう。
肉質は柔らかいのだが甘みに滿ち、存在感がある。
そして味噌や白子、卵である。
「蟹王府」に来て、姿蒸しを食べる時は、時間が勝負となる。
店員が慣れた手つきで、素早く剥いてくれるが、僕はそれを待たない。
とりあえず胴体をもらい、顔を近づけて、熱々のミソや白子、卵にしゃぶりつくのである。
ジュルルル。ジュルルル。
ミソは、危うい秘密を隠しながら、とろりと舌を舐め回す。
卵は、豊かな温かみを宿しながら、てろりと舌に甘えてくる。
白子は、奔放な精の勢いを放ちながら、舌を翻弄する。
ああ、もうたまりません。
こうして食べるこの店の上海蟹のミソや卵、白子は、味が澄んでいる。
他のそれは、かすかに雑味や淀み、味わいの硬さを感じるのだが、こちらのそれは、みずみずしさを感じるほど綺麗な味わいなのである。
命は尊く美しい。
そのことを痛感する味わいなのである。
無口になって、一心不乱に蟹の甲羅を嘗め尽くしながら、痛烈にそう感じた。
しかも姿蒸しだけではなく、上海蟹を知り尽くしたこの店は、様々な料理で攻めてくる。
そんな店が、今日日本橋に開店した。
やられた。
こう書いているうちから僕の口の中は、すでに上海蟹の味で埋め尽くされている。