駒沢「かっぱ」

食べ歩き ,

駒沢に「かっぱ」という店がある。
初めて行ったのは、今から30数年も前だった。
座ると、頼みもしないのに煮込みの皿が出される。
汁をなみなみ注ぐのて、白木のカウンターにこぼれる。
これは几帳面、A型の人ならびに潔癖症の人は、無理だろう。
しかし不思議なのは、大鍋からおたまで注ぎながら、テーブルに置くまでこぼれないことである。
この仕事は、かなり芸術性が高い。
注ぎ方は2代目より、先代の方が汁なみなみというかこぼれ加減が激しく、カウンターはいつも汁で濡れていた。
確か30年前は白木だったように思うが、汁がこぼれ過ぎたのだろう、いまはニスを塗って茶色のカウンターである
できますものは、煮込みとご飯、お新香のみと潔い。
以前はビールもお茶漬けも、品書きに書かれていたが、誰も食べている人を見たことがなく、本当にあるのかどうか、都市伝説になっていた。
親父が一切口利かず、モタモタしていると怖く、誰も勇気を奮って頼めないのである。
注文は、ご飯の小、中、大を頼むだけで、煮込みの小も書かれているが、主人が盛り付ける前、つまり席が空いて座る前に頼まないと、自動的に並盛りが出される
過去一度だけ、僕は勇気を絞り出した。
「ビール」と頼んだのである。
一瞬、カウンターに居並ぶ客が凍りついたのがわかった。
視線を何気なくこちらに向ける。
しかし親父は、なにも言わずビールの大瓶の栓を抜いて、なにも言わずに目の前にドンと置いた。
一瞬、カウンターに居並ぶ客が安堵のため息をついたように思う。
煮込みと盛られたご飯を肴にビールを飲むと、当然ながら煮込みがなくなったので、煮込みを追加注文した。
一瞬、カウンターに居並ぶ客が、「よし今度は俺も」と誓った気配を感じたのを覚えている。
知らない客は、この店のご飯の多さに驚く。
小でどんぶり飯なのである。
ゆえに大は、チョモランマ状態となる。
体のがっしりとした体育会系学生が、大を食べきるのを何度も見たが、その量というより、煮込みの皿一つで、大を食べ切るペース配分が、天才的だと思った。
この店の流儀は、
1店に入って満席の場合は、席の後ろに立つ。
2席が空いたら、座りながら、ご飯の大中小を頼む。
3御新香の小皿付きだが、別に頼みたかったら御新香と頼む。
4その間および出す時も、ご主人は一昨口を「聞かないが気にしない。
そして食べ方は、煮込みをおかずにご飯を食べ、ご飯がしかるべき量になったら、煮込みをご飯にかけ、掻きこむことにある。
別にそう定められているわけではないが、体育会学生も若い女性も大学教授も、みな、おいしそうに掻き込むので、店内はいつもズルズル音の競演が鳴り響いている。
「ズルズルッ」。「ズルズルッ」。「ズルズルッ」。「ズルズルッ」。
ぜんだみつおもブラーザートムも、石毛選手やサッカーの巻も、中尊寺ゆつこや久保田利伸も、桐谷健太やあばれる君も「ズルズルッ」したのだろうか。
僕は、煮込みをおかずにして白飯を少し食べ、さらに肉をのっけて食べ、最後は「ズルズルッ」にする。
実際うまい。クセになるほどうまい。
いつも、今日こそは煮込みをかけないで食べ終えようと思うのだが、いまだ汁かけご飯の誘惑に勝てていない。
そしていつかご飯大盛りに挑戦しようと思いつつ、もう60を過ぎてしまった。