エゴも強制も、瀟洒も見栄もない

日記 ,

エゴも強制も、瀟洒も見栄もない。
自然と共生し、八百万神を敬ってきた日本人が作り出した、てらいなき、真っ当な日本料理である。
長年にわたって積み重ねられてきた、人間の叡智でもある。
「茸のさもだし」は、山の精気を伝えて心を静かにし、なまこは、このわたのうま味を伴って、歯と歯の間でクリッと崩れていく。
青臭い部分だけを切りのぞいて炒められた「大鰐もやし」は、ポリポリと弾む食感の中に微かな甘みがあって、これ以上でも以下でもない甘みが溶け込んだ煮汁が、盛り立てている。
鮭の風味を複雑にして魅了する鮭の飯ずしは、醸す不思議を痛感させ、真鱈の子の醤油漬けは、醤油の精妙な量が卵の魅力を深くする。
そしてじゃっぱ汁は、真鱈の滋味と根菜のたくましい香りが出会った汁の中で、白子の濃密な精が溶ける。
冬の津軽がここにある。
厳寒の中で、自然への感謝を捧げる心根がここにある。
滋味で朴訥ながら、日本人である喜びを分かち合える料理がある。
記憶に残すべき、日本料理の源流がここにある。
おそらくこのまま放っておけば、静かに消えて忘れ去られてしまうだろう。
僕らにはもう、星の数やネットの点数に踊っている時間はないのだ。
根津「みぢゃげど」にて     閉店