ナイフで切ろうとすると、微かな抵抗があって、すっとその身に抱かれていった。
口に運ぶ。
その瞬間、体中の力が抜けた。
鮑の煮汁が持つ、混沌とした、深淵が見えぬ滋味が、舌を覆う。
1回、2回。
ゆっくりゆっくり咀嚼する。
18回までは、煮汁の味わいが口の中を埋め尽くす。
濃密ながら、エレガントなうまみである。
やがて噛み進むと変化が現れた。
20回を継ぎたあたりから、海の香りが現れる。
磯の香りか海藻の香りか、鮑が体に溜め込んできた養分の香りなのだろうか。
海底に潜んでいた香りが立ち上がってくる。
30回噛んだあたりだろうか。
甘みと香りに、うっとりと酔わせながら、鮑は別れを告げた。
京都「仁修楼」にて
原汁吉品鮑
下は白身とクリームを合わせたもの