都会の喧騒から離れて、そっと耳を傾けなければ、聞こえてこない。
心を洗い、現代の時間をリセットして味わなければ、届かない。
そんな料理だった。
鴨と根菜の滋養を抽出したスープは、鴨の旨味に、根菜たちの香りや甘み、苦味や辛味などが、なんの迷いもなく溶け込んでいて、しみじみとうまい。
息吹を純粋に凝縮した味が、細胞の隅々まで行きわたって、我々が春を迎える準備を整える。
アマレットで風味づけられたかぼちゃのソースであえた、かぼちゃのタリオリーニは、地平の彼方まで優しい。
微塵の雑味もなき、かぼちゃの純真な甘みだけが心を包む。
平穏な時を呼んで、ふっくらとした笑顔になれるパスタである。
またスペシャリテであるカルボナーラはどうだろう。
小さなファゴティーノを一口噛めば、チーズのコクや卵の甘みが、とろりと顔を出す。
驚きは、皮と同時に中のチーズや卵のソースが舌の上で溶けゆくことで、ああこれは夢だったのかと思わせる。
「ハインツ・ベック」の料理は、イタリア料理でありながら、食べて直ちに心を陽気にさせる料理ではない。
どの料理にも、食材の芯だけを切り取った、無垢なうま味があって、精神を健やかにし、体を整え、それがやがて心を陽気にさせていく。
そんな願いが込められている。
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