認識の違い

食べ歩き ,

海外に行くと、認識の違いに愕然とすることがある。
日本食と名乗っていて、遥かにかけ離れた料理にはもう慣れたけど、海外進出の大先輩である中国料理でさえ、これは明らかに違うでしょと言いたくなるものがある。
例えばマンダレイの中国料理店の炒飯である。
中国料理店の経営で、中国人客もいる。そして店名は「福臨門」である。
炒飯は、英語でもフライドライスと明記してあって、具は豚、鳥、海老から選べる。
五目はない。
一名がチャーハンを食べたいというので、一番無難そうな「鶏」を注文した。
お姿が他に例を見ない。
円板状というか、軽い台型というか、丘陵型というか円形古墳型というか。
食べるとそれは、炊き込みごはんであった。
薄い味付けの、野菜と鶏入りで炊き込みごはんであった。
いやもしかして、遥か昔に炒めたのが、そのまま冷凍してチンしたのかもしれない。
ただ確かなのは、油の香りが無く、パラリとはしていない。
長粒米ではなく短粒米で、一粒一粒が団結して、もちりとした触感で、実に情けない。
卵も見当たらない。ついでに鶏肉も懸命に探さないと、見あたらない。
見つかったと思って噛み締めても、筋繊維以外は、それが昔鶏という動物だった痕跡はない。
薄い薄い塩味の、冷凍ミックスベジタブルを入れた炊き込みご飯を想像して欲しい。
暖簾に腕押しの味があるとすれば、この炒飯を指す。
なげやりで、さみしい。
これはチャーハンではないと自分に言い聞かせて食べて見ても、さみしい
本人たちも、賄いでもしこれを食べているとしたら、なおさら寂しい。