天亭の天丼は春風だ。
丼を掻き込めば、そよそよと温かく、爽やかな気分が吹き抜ける。いったいこの軽やかさは、どこから来るのだろう。
丼が運ばれる。蓋をとって、天ぷらたちの雄姿に目を細める。
まずは海老。
一口、二口。引き出された海老の甘みを舌に宿したまま、すかさずご飯を掻き込む。
むむ。ご飯がうまい。
甘辛く濃いつゆにまみれながら、米の甘みが海老の甘みと呼応して、顔がゆるゆるにやけていく。
さあ、お次はどの種攻めようか。
うれしい悩みを瞬時に整理し、組み立てる。
はらり、ほっくりと、口の中で舞い散るキスでいこうか。
とろけるような甘さが広がる、アナゴにしようか。
弾けるアスパラの香りを楽しむか。
いや、精妙に火が通された、かき揚げか。
次の種に箸をつけたら、後は一気呵成。次第に箸を持つ手が加速をし、疾風のごとく食べ終えてしまう。
気がつきゃ丼は空っぽで、底には米粒一つ、汁気一つさえ残ってない。
腹は膨れるが重たくなく、食後はなぜか清清しい。さっぱりとした気分で「ごちそうさま」。
天丼で一般的にイメージする“重さ”がここにはない。
なぜかとご主人に尋ねれば、いくつかの秘訣が隠されていた。
まずは天種。
天ぷらコースと同質の、まともに値段をつければ倍ほどになる種を、惜しげもなく使っている。
次が衣。
天丼用には、やや粉を多めにし、卵を少し利かして、サクッとした軽さを生み出そうとしているという。
そして揚げ。
やや高めの温度で長めに揚げて、これも同様衣の軽さを狙っている。油切りも鍋の上で3回。油が見事に切れた、後味の切れがよい天ぷらだ。
丼つゆは、濃い目といっても、味付けを濃くせず、出汁を濃くとっている。
さらにつゆに潜らせる時には、一種ごとに脂の乗りを感じ取り、余計に衣に吸い込まぬよう、潜らせ時間を調節する。
お新香にも仕掛けがあった。
野沢菜で胃をリフレッシュし、柴漬けの酸味で唾液を呼び、醤油漬け胡瓜の辛味で刺激をし、つぼ漬け沢庵の余韻でお茶を飲む。天丼の合いの手でもあるお新香は、こうして、食べるリズムを支援する。
最後の秘訣が丼である。
常によそいたての状態を保つにはと考えあぐねた結果、断熱材入り丼器を特注。食べるのが遅い人でも、水蒸気によって汁が下にたまることなく、最後までべたつかない。すうっと吸い込まれて、自然に微笑みが湧く、春風天丼が生まれたのである。
いやそれだけではない。
この軽やかさは、日々の仕事を点検し、常に最良の方法を探り、隅々まで気を配ったご主人の結実が生んだ、「軽さ」なのである。