日本料理と牛肉。そしてフランス料理。

食べ歩き ,

日本料理とはなにか。
答えはいくつかあるが、一つは清らかさだと思う。
水が豊かな国の表しである。
それゆえに今まで四足動物の料理は、割烹では出されなかった。
肉が出るとすれば、鴨や合鴨、うずらである。
しかし昨今では牛肉を出す割烹が増えてきた。
コースの値段を上げるために、牛肉を出すようになったと読み解く事情通もいる。
値段はともかく、会席料理の流れの中で、牛肉をはめることは難しい。
なぜならその強い味は、印象や余韻が強く残り、食べ終わったときに、そこだけ突出してしまうことが多いからである。
それでは清らかさという、日本料理の流れに反してしまう。
だが先日、その考えを踏まえつつ、あえて牛肉を日本料理の流れの中で使うという無茶ぶりの会があった。
しかもフランス料理とコラボするという、ダブル無茶ぶりの会である。
企画したのは、サカエヤの新保さんと門上さんであった。
無茶ぶられたのは、大阪の割烹「栫山」の栫山さんと、フランス料理「SINAE」の大東シェフである。
当日はお二人の料理が交互に出され、お二人が作られた料理が八寸として同じ皿に盛られるという流れもあった。
その中で印象に残った料理がある。
一つは栫山さんが作った、牛力こぶのお椀であった。
力こぶとは、前スネ足の部位で、普段はミンチにされることが多い。
スネ足であるから筋肉が発達して筋が多いが、噛み締めがいがある部位である。
もうこれだけで、日本料理では難しい。
「脂を引いても引いても湧き出てくる。大変でした」
そう栫山さんが語るお椀は、たしかに脂の粒は存在していたが味は澄んでいた。
枯れ節で出汁をひき、玉子豆腐を肉の下に置くことによって、肉の強さを和らげ、シャキシャキと弾むじゃがいもの極細切りでリズムを生む。
それでいて「力こぶ」という部位の特質は生かされていた。
苦心の跡は料理からは見えず、自然に座っている味わいなのが素晴らしい。
一方大東シェフの力作は、「ルキュルス」であった。
近江牛のタンの薄切りとフォアグラをミルフィーユ状に重ね合わせた、古典料理である。
美しい。
フランス古典料理が持つデカダンスとエレガンスが、厳然と流れている。
フォアグラもタンも精緻な厚さで、0.1ミリの狂いもない。
口に運ぶとまず、てれんとフォアグラが舌に広がり、脂の甘い香りが立ち上る。
その余韻に陶然となっていると、薄い薄いタンが歯にかかる。
噛みしめれば、薄いながらもタンの滋味が伝わってくる。
タン特有の脂の甘みがにじみ出て、フォアグラの甘美と抱き合うのであった。
これが少しでもバランスが崩れると、生まれない味なのだろう。
シェフの精密な仕事が光った逸品である。
最後に白ごはんと一緒に船場汁が出された。
大東シェフが今日使った肉の端切れでコンソメを取り、栫山さんが今日の魚や肉の端材でとった出汁と合わせた汁である。
「日本料理で牛肉料理は難しい。恐る恐るやる中で、昔を思い出しました」。
そう栫山さんはおっしゃった。
コンソメと出汁を合わせるのも、至難の業だろう。
だが飲むと、それは素直で、互いの境が一切ない。
肉や魚の滋味が丸く一つとなって、舌に広がり喉に落ち、体の隅々へと行き渡っていく。
それはお二人が牛肉という食材を見つめ直し、敬意を払って料理された結実であり、日本とフランスという異なる仕事を理解し、互いを認めあった味である。
だから温かい。
心が通いあわねば誕生しない、実直で温かい味わいが、しみじみと染み渡っていくのであった。