店主三浦俊之さんは、物静かな方だ。しかしゆっくりとした口調の奥に、強固な信念がキラリと輝いて、胸を突く。
バーラジオで5年、バーツルで5年、バーテンダーとして修業なされ、98年に独立された。
しかし。バーではなく、うどんの店「きつね屋さだ吉」を六本木に出され、料理人として出発されたのだった。
その頃噂を聞いて、食べに行った。
確かきざみうどんを食べたと思う。
澄んだ出汁の深い味と、京都うどんのような滑らかな口当たりと、奥底に潜んだコシにうなった。
その時連載していた漫画誌のコラムで取り上げようと、原稿を書き、三浦さんに原稿を見せてお願いをした。
「大変有難い話で恐縮です。しかし、女の子のグラビアが乗っている雑誌と店が同居するのは、大変申し訳ありませんが辞退させてください」。と言われたのであった.。
頑なな方だだなあと思ったが、ラジオの尾崎さんの薫陶を受けたと聞き、さもありなんと思ったのだった。
やがて彼は店を移転し、麻布警察署の裏手のビルの地下で「さだ吉」という和食店を始めた。
看板には「吉」とだけ書かれ、よくわからない。地階に降りても、当初は鉄扉が降りていて、店なのかどうかも分からない。
しかし大きな組みひもを引くと木戸が現れ、清潔感に富んだ、木造りの店に靴を抜脱いで上がるようになっている。
三浦さんは、あらたに女性料理人を加えて、自分はサービスに回り店を続けた。
そんな店だから、ふりの客は絶対来ない。最初は紹介制だったので、なおさら来ない。
しかし当意即妙の料理が評判となっていく。
今の時期なら、白菜と凍り桜海老のポン酢和え、鰹節をかけた焼き大根、焼きネギとジャコのおひたし、エビイモのから揚げ、鮭と大根の白味噌煮、地鶏の炭火焼かなあ。
ほうらどうです、おいしそうでしょ。
そうここは、市場でなく漁師からとりよせた魚もおいしいのだが、野菜料理が群を抜いていたのだった。
しかし。三浦さんはまた転職をした。
地元に戻り農家を始めたのだ。無農薬であることはもちろん、不耕栽培に近い、野菜の力だけで育てるという農業を。
震災が転機だったという。
末来の子供たちに残せることはないかと、考え抜いて始めたのだという。
三浦さんらしいなあ、と思った。
店はその後、女性料理人は変わらずに、定食屋となった。
本日の料理は、「南瓜とナズナ和えもの」「金糸瓜と白菜とトンブリ酢の物」「蓮根の山椒醤油煮」「三度豆と牛蒡煎りつけ」「玉子焼き」「放牧豚のロースト野菜味噌ソース」「根菜と肉団子」「根菜の味噌汁」「釜だきご飯」。
野菜は、三浦さんの手によるもの。
土臭く、それぞれの本分を失わず頑なな味で、どこか優しいのは、三浦さんそのものなのである。
六本木「さだ吉」閉店
店主三浦俊之さんは
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