嬉しき悩み。

シメご飯 , 食べ歩き ,

どれを選ぼうか。
どれを選ばまいか。
決められない。
小さな板に、麺飯の品書きを書いた半紙が、下げられていた。
鮭茶漬。おこげ茶漬。卵かけごはん。しそのおにぎり。
縮緬山椒のおにぎり。いなり寿司。やきもち強餅。
干ぴょう巻。煮うめん。アジの早寿司。天むす。
冷しうどん。きつねそば。
叶うことなら、すべて食べたい。
今から20数年前、この店にきたときもそうだった。
結局は、名古屋だからと「天むす」を選んだのだが、注文すると、「しばしお時間いただきます」と、言われたのである。
なぜだろう? そう思っていると、ご主人は奥に下がって、一人前用のご飯を炊き始めた。
炊き上がる頃を見計らい、木箱から籾殻に包まれた活才巻エビを取り出し。殻を剥き、衣をつけて揚げた。
そして握る。
炊きたて、揚げたて、握りたて。
すべての料理を下ごしらえなく、その場で仕上げる、この店の真骨頂である。
さあ食べよう。
悩みに悩み選んだ、留が運ばれる。
「天むす」は変わらず、甘いご飯の中で海老の繊細な甘さが弾ける。
「煮うめん」は、丸く深いつゆに心が包まれ、細い細い素麺が、唇を歓喜させる。#
「干瓢巻」は、干瓢の煮え具合が、柔らかすぎず硬すぎず、ピタリと決まって、揺るぎない。
「紫蘇のおにぎり」、「縮緬山椒のおにぎり」ともに、空理を含みながらふわりと握って、それぞれの種の量が最適であり、米の甘みを生かしている。
「いなり」は、お揚げの甘辛がほどよく、「もう一個食べたい」と思わせる、ギリギリの濃さに止めている。
「アジの早寿司」は、キリッと効いた酢と塩の酢飯と、脂が乗ったしなやかなアジが、一瞬でなれて、色気を醸している。
「強餅」は、焦げの具合が精妙で、焼いた餅の正しき美味しさがある。
そして「卵かけご飯」は、ご主人が何度も試行して、最適解を出したのだろう。
殻のまま1分半加熱された卵に、割れた電球で掻いた薄削の鰹節、細塩昆布が添えられ、すべてかけて混ぜ掻き込めば、充足の笑いが溢れる。
「おこげ茶漬」は、おこげの香りが食欲をそそりながら、質素でどこまでも清らかに、喉へと落ちていく
幸せがここにある。
食べる人のことを思いやり、すべての料理と食材のことを思いやった、丁寧な料理は、背筋を正し、心をきれいにする。
名古屋「花いち」、九千二百五十番目の夜。