博多に来たら、僕はもうここしか行かん。
そんな「畑瀬」今年も伺うことができた。
「鯨なます」
大根と人参と鯨のなます。その甘酢の塩梅に唸る。そしてそれぞれの切り方が精妙に計算され、整えられている。それによって噛んだ時の味わいが自然であり、三者を感じながら、どれが尖ることなく、まとまっている。
これこそが「料理」である。
「つくね芋甘酢」
糸島のおじいさんから持って来てもらったというつくね芋のおろし。ぽたっと口の中に滑り込んだ芋を舌の上で弄ぶように、しばし留め置く。噛まない。すると次第に芋の甘さが顔を出し膨らんでいく。地のほの甘さ酸味、旨味がそれをそっと持ち上げる。
「料理」というものの素晴らしさと難しさ、その深淵を感じさせる料理である。
「フグ白子焼き」
まだまだ小さいが、官能に届く味あり。
「ざばずし」
畑瀬のご主人が作る鯖寿司は威張っていない。さりげなくすっと舌に馴染みながら、鯖の旨味と米の甘みが響き合う。
「昆布締めあらの刺身」
今まであらは動物的だと思っていた。
その白き身の奥に、いつも陸の動物的脂の香りを感じるからである。
しかしこの際身は違った。
どこまでも美しく、ほのかな甘みをすうっと流し入れる。
アラにこんなエレガントさがあるとは、知らなかった。
アラを2時間昆布締めのだという。
いつまでも噛んで痛いお造りである。
「ブリの出汁椀大根」
やられました。
そのつゆは甘いのだが、甘さが濃いのではなく、深い。
だから舌にじっとりと染み込んでいく。
しみじみとうまい。
そのつゆの旨味を体に取り込んで、自らの甘みと融合させた大根は、口の中で崩れて、滋養を広げる。
食べていくと中に、ほんのり辛味が存在していて、飽きさせない配慮だと知る。
ああこれを毎日食べたい。
「アラの背の塩焼き」別コラムを参照してください
「アラのちり鍋」
こちらは腹側の部分が、たまりません。
とろんと甘えて、もうやめて。
「雑炊」。
「明太子」
この店の明太子を食べてはいけません。
もうどこの明太子も食べられなくなるからです。