小さな椀に注がれた、鼈甲色のスープに白菜が一つ浮いている。
素っ気ないそのスープを一口飲んで、めまいがした。
飲んだ量は、ほんのわずかであったが、奥底に膨大な食材が隠されているようだった。
飲んだ時間は、ほんの数秒であったかもしれない。
しかしその裏側に、気の遠くなるような時間が流れている確信があったのだ。
積み重った様々な滋味が、一つとして突出することなく、丸く舌をころがっていく。
それらを、まとめているのは、白菜の包容力だ。
温かい甘みが、柔らかい甘みが、折り重なったうまみを真綿のように包む。
きけば16時間かけて作られたスープだという。
丸鶏、もみじ、金華ハム、豚ハツ、アヒル、牛スペアリブと葱生姜で10時間。
そのスープを牛肉で掃除し、豚肉で掃除し、鶏ささみで掃除すること4時間。
最後に白菜の芯だけを入れて2時間かけて完成する
その味は、我々の脳を激しく揺さぶった後に、温かく抱きしめる。
我々は、うまいとも、おいしいとも言えず、ただただ充足のため息をつく。
銀座「趙楊」の升水白菜。