世界一のおむすびだと思う。
米も塩も水も、おむすびとして何が最適か、考え抜かれたものが使われる。
だが肝心なのは、そこではない。
寿司の握り手が違えば、同じ酢飯でも味が変わるように、むすぶ人のアビリティーである。
神埼さんは、米をむすぶ時に、ほとんど手のひらに着地させない。
こうして結ばれた塩むすびが目の前にある。
それはどこか神々しく、手を触れてはいけない美しさに輝く。
手に取り、口に運べばどうだろう。
はらはら。はらはら。
一噛みごとに、もはや米粒が団結していなかったかのように、口の中で舞っていく。
甘い香りを漂わせながら、幸せを運んでくる。
それなのに崩れない。
名人の握りのように、米はつぶれず、空気を含みながら形を成しているのに、最後のひとかけらまで崩れない。
そして最後の一粒が、甘い余韻を残しながら、別れを告げる。
四谷「萬やおかげさん」にて。