フカヒレを噛んだ瞬間、妄想が生まれた。
フカヒレを食するという行為は、人間の根源的欲求に繋がっているのかもしれない。
一枚の一番太い部分だけを、食べる。
箸で大きめに切り、スプーンに乗せて口に運ぶ。
大きく口を開けて頬張ると、「クリクリクリッ」と、音が響いた。
そんな痛快な音とは裏腹に、ゼラチン化したコラーゲンが、とろんと舌をだきしめる。
ああ。
口から吐息が出て、体の力が抜けていく。
食感の凛々しさと味わいの豊満が響き合い、気分が高揚し、心を溶かす。
戻す、煮込み具合、温度、艶、節度ある白湯の濃密。
すべてが完璧という理想に向かって極めた今が、ここにある。
それは、捕獲され、干され、戻され、煮込まれてと、長時間経っているというのに、生命の躍動を感じさせた。
大海を悠然と泳ぐ、王者の風格がある。
だからこそ我々は、噛んだ瞬間に、他の命を奪い、自らの命を長らえる業を感じ、本能が揺れ動くのかもしれない。
薄い部分は散翅にされ、ご飯と和えられて再び登場した。
ああ、なんとエレガントなのだろう。
米の甘みを生かすため、白湯の強さが抑えられている。
ギリギリの際で決められた、白湯の量と塩分が、ご飯のうまみを静かに持ち上げて、柔らかい。
典雅を生み出して、官能をもみほぐす。
その繊細な美しさに、涙が出た。
南麻布「茶禅華」にて







