最初からエロい。
真はた煮凝りと塩じめは、まず煮凝りを食べ、その口に残った旨みの余韻を残し、塩じめした刺身を口に運ぶ。
ああそれなのに、純な脂の甘みだけが滲み出て煮凝りのうまみに溶け、舌と戯れる。
胸を焦らす味わいがたなびくのだった。
次もエロい。
佐渡で上がったという十八キロのメジマグロである。
神経締めし、五日間干し、皮は引かずに、皮を炙る。
添えられるは、山芋の千切りと粗たたきに地元の山わさびであった。
香ばしい皮にカリッと歯を立てると、しなやかな肉に包まれ、拙い鉄分が滲み出す。
その時、皮下からニュルルと、うまみが顔を出した。
官能をくすぐるうまみである。
たまらず、大至急燗酒を飲んだ。
さらにまたエロい。
キジハタの炙りである。
軽く炙られたキジハタは、香りを膨らませ、筋肉質の勇壮な体躯を誇りながら、崩れていく。
噛むほどに旨みが上がり、気分が少し高揚する。
その旨みを梅肉とあられのタレがいなして、丸くする。
そこへすかさず〆張鶴の純の燗を流し込んだ。
するといかついキジハタが、憂を見せ、艶っぽくなるのである。
こうしたエロい魚の合間に、地味な野菜料理を挟む。
にんじんを長時間炊いた石焼や、ごぼうの甘みを引き出してまとめたくず餅うなど、朴訥な滋味を挟み込む。
それゆえの緩急や、艶に対する枯淡があるからこそ、互いが生きるのだろう。
村上「新田久」にて







