内臓は、エレガントとは無縁である。
下品の迫力で,コーフンすることがあっても,優美さに心を動かすことはない。
だが,その夜食べた内臓料理は,違った。
豚の頭部位を寄せたフロマージュ・ド・テッドは,ゼラチン化したコラーゲンの穏やかなあまみに、舌や耳の食感が溶けていく。
豚肉が持つ寛容な慈愛が伝わってきて,しばし宙を見つめたまま、言葉なく、動けなくなった。
豚内臓のソーセージ、アンドゥイエットもしかりである。
特有のアンモニア臭は,微塵もない。
ミンサーにかけることなく、肩ロースの脂の強いところを混ぜてつなぎ、詰めて2時間茹でたという。
子袋、直腸、ガツといった内臓たちが、手を繋ぎながら仲良くひしめき合う。
開いて水を抜き、丁寧ながら下処理しすぎないモツたちは、噛めば躍動して、歯を喜ばす。
そこへトリュフが妖艶に香り、マスタードソースの強い酸味が気を高める。
アンドゥイエットで、内蔵の色気を感じたのは初めてである。
そんなコーフンをなだめるジャガイモの存在が、憎い。
長い人生で、何千回と食べたハチノスの煮込みも、新たな発見があった。
ハチノスの煮汁に、シードルとカルバドス入れて煮込んだ、カン風トリップである。
食感が新しい。
普通はクニュッとした歯触りだが、そこにサクッとした食感があった。
つまりそう、トリッパがまだ死んでいない気配があるのである。
質が極めて高いトリッパに敬意を払った、品格が漂っていた。
だからこそ、シードルやカルバドスの柔らかな酸味やコクも、生きてくる。
ああ、もう一度食べたい。
デザートも内蔵である。
なんとブーダンノワールとショコラを合わせたデザートであった。
鹿の血に、砂糖を入れないで、塩を入れたという。
それによって血に含まれている甘みが際立つ。
甘美なデザートをうっとりと食べているのに、上気していくのはなぜだろう。
内蔵料理でも優美さを表せることを知った。
エレガントの語源は、ラテン語の動詞 ēligere(選び出す)であり、本来は、「良質なものを選び抜くこと」や「注意深く丁寧に選ぶ」であったという。
サカエヤ新保さんが、吟味し、愛情をかけ、丁寧に下処理した内臓を、高良シェフがそれぞれの本質を見極める。
いただいて料理は、二人の卓越した職人が、確固たる自信と軸の中で、現状に決して満足せずに、常に自分にとってベストな選択をし続けた結果であるとも言えるだろう。
こうして選び抜かれた結果として、初めて優雅は生まれるのである。
銀座「ラフィナージュ」にて







