また悲しいお知らせが入ってきた。
すでにいろんな方が投稿されているが、浅草「花家」が76年目に幕を閉じられたのである。
東京に住んでいて、この店を知らなければ、「ソース焼きそばを語る資格がない」。そう断言できる店であった。
それはソース焼きそばという料理の哲学がさりげなく集約された味であり、庶民性、無駄のなさ、ささやか喜びという、ソース焼きそばの美学に輝いていた。
10数年前、この店のことを書いた文を乗せる。
さようなら。寂しい。
<四百万回の味>
田原町の改札を出て地上にあがっていくと、ソースの匂いに包まれる。
「花家」から漂う匂いである。
店頭では、老主人が、一日中ソース焼きそばを炒めている。
これから浅草で美味しいものを食べようという矢先に、この匂いはつらい。
何度誘惑に負けて、自滅しそうになったことか(実は数回自爆しました)。
でも昨日は、おやつの時間だったので、迷うことはない。
焼きそばは、並400円と大盛500円。
キャベツともやしに青海苔だけというシンプルな焼きそばは、ソースの味が辛すぎずに、やんわりと味つけられている。
その辛さというか、淡い味付けが、いつ行っても寸分変わらぬ点がすごい。
ソース量が少ないのと炒め方の妙で、細麺もべちゃべちゃにならずに、かといってゴワゴワにもならず、空気を含んでふんわりと炒められ、シャキシャキとした歯ごたえを残すキャベツとの出会いを楽しくする。
一口食べた途端に、顔がむずむずしてくるうまさである。
わからない?
つまり食べた途端、「うまいっ!」と、叫ばずに、じわじわとうまさがやってくる味なのだよ。
僕は、途中からちょいと「追いソース」をするが、全体にはかけない。
焼きそばの手前、南壁辺りにかけて、濃い味と淡い味を交互に食べるのが好きなんだな。
店主のおじさんは、注文が入ると、もやしを炒め、あらかじめ炒めてあった焼きそばを注文の分だけ炒め、水とソースをかけまわす。
こてを返すこと五十回。
その間四十秒。
再びソースと水をかけ、こてを返すこと五十回と四十秒。
おそらく一日200回は同じ作業を繰り返しているだろうから、一年で6万2千回以上繰り返されていることになる。
聞けばもう六十数年もやっているという。
それは400万回の蓄積がなされた味なのであった。
閉店