ある日突然、杉野渓子さんにお会いしたくなる時がある。
すでに食事を済ましていたが、訪ねた。
すると、「お腹いっぱいでしょ。お菓子とお茶でもいかが」と、奨めてくれた。
なにも言わずとも、お客様の気持ちを汲む。
それが、48年間サービスに携わってきた、杉野さんの「仕事」である。
生まれは昭和2年。86歳。恐らく現役最年長の給仕長であろう。
その歩みは、日産のトップセールスマン昭和40年に始まった。
妹の嫁ぎ先であった旧家が、別荘に引っ越し、館が空くので、何か利用できないという相談が来たのである。
とっさに思いついたのは、レストランだった。
ひもじい思いをした戦中戦後の体験から、いつかおいしいものを提供できる仕事に就きたいと考えていた。
蒲池(現在の麻布2辺り)を望む大正時代に建てられた、瀟洒な250坪の洋館を改築し、クレッセントからシェフを呼び、会員制のフレンチレストランを開業した。
名は「白亜館」。
伝説のレストランである。
見事な庭や黒書院、金屏風で仕切られた二階の座敷席など、本物で統一された館は、瞬く間に話題となり、石原新太郎や黛敏夫、吉永小百合、森光子など、各界の著名人が頻繁に利用し、特に、五木寛之氏より可愛がられたという。
10年間営業したが、館が老朽化し、24森ビルに移ったが、一軒家の魅力には勝てず閉店をした。
ところが現在の店の先代社長、故星原氏より懇願され、銀座「ビストロ南蛮」で働くこととなる。
フランスより帰国した、元白亜館の料理人をシェフにし、大いに繁盛したが、数年後シェフが辞めることになった。
困った杉野さんはご主人と、当時話題となっていた「ビストロサカナザ」に出かけ、今まで自分たちは何をやっていたかと思うほど、料理に衝撃を受ける。
その晩に三国清三さんと仲良くなり、紹介してもらったのが、現在のヌキテパのオーナーシェフ、田辺年男さんである。
変わった風貌と恰好をして現れた田辺さんに驚いたが、料理を作らせると、実に誠実ですばらしい。
田辺さんをシェフに迎えた「ビストロ南蛮」は、食にうるさい政財界の方々を中心に、さらに賑わいを増していく。
しかし1991年、池ノ上で一軒家を購入し、新たなレストランを営むことになるのである。
「アマポーラ」。
一軒家のフレンチレストランは、杉野さんと暖かいサービスと、名ジャズピアニストであったご主人(故杉野喜知郎氏)の演奏に包まれて、話題となり、盛況を続ける。
10年ほど営業したが、ご主人が亡くなられ、店をやめる決心をする。
一人じゃもう店はやっていけない。
後はのんびり暮らそう。そう思っていた矢先に再び星原先代社長が現れ、「君はうちに来るべき人だ」と誘われ、一ヶ月も立たぬうちに、現在の店で働くこととなる。
「私はここで、お客さまのお話を聞いてあげる役目なの」と、杉野さんはいう。
「お客様がどんなお気持ちか、なにを召し上がりたいかは、心を込めて仕事をしていれば、自然と浮かんできます」。
「86歳で働かせていただけることは、本当にありがたいと思っています。だから、人の気持ちになってサービスすること。その精神を、常に忘れず、大切に保ち続けようと思っています」。そういって、杉野さんは、静かに笑った。
そうか。杉野さんに会いたくなるのは、笑顔のせいだけではない。
笑顔の奥にある真心が、その心配りが、都会の摩擦で疲弊した我々を包み、安寧へと運んでくれるからなのである。