〜海の甘露〜
①サザエには三つの魅力がある。
一つは上部のコリッとした肉。いやこのサザエのそれは、コリッとではない。
そこまでは硬くなく、シコッとした食感で歯が入っていく。
噛めば、微かな甘みがある。
二つは、上部の下にある肉である。くにゃりと柔らかく、しなやかで、穏やかな甘みを滲ませる。
そして三つは、肝である。
淡い茶色の肝を一口噛んで、どきりと胸が鳴る。噛んではいけないものを噛んでしまったような、いたいけな食感があって、優しい甘みが滲み出る。
潜り立てのサザエは、雑味が一切なく、磯の香もなく、澄んだ海底の滋養が、静かに舌を過ぎ、喉へと落ちていく。
②去年から寝かせたという蟹味噌を、スプーンですくえば、ぽってり重い。
余分な水分が抜け、凝縮しているのだ。
一口でうま味が広がるのではない。蟹味噌の純粋が、一瞬遅れて口の中に広がっていく。
汚れなきうま味だけが、ゆるゆると広がって、口を満たす。
そこに酒を流し込めば、辛口の酒が甘く変化して、僕らを堕落させる。
③白いかは、サイズが重要だと言う。
20㌢くらいだろうか。そのサイズが柔らかさと甘みを秘めている。
口にすれば、舌や唇、歯や歯肉、軟口蓋に、ねっとりと甘えてくる。
その後に幼い甘みが現れて、口を満たし、消えていく。
なんと危険な、ディープキスだろうか。
④天然の夏ガキにはくどさがない。
手前の太っているのが島牡蠣で、向こうが岩牡蠣である。
どちらもミルキーさを持っているが、味がいやらしくない。
ミルキーさがより強い島牡蠣でさえ、ふわりと甘さが消えていく。
圧倒し、どうだっと迫る夏牡蠣特有の押しの強さはなく、ミルクの甘みをさらりと滲ませ、過ぎていく。
そう、これはまだ、十代の中頃なのだね。
⑤イサキは皮ぎしがうまい。
湯がけにした刺身を食べると、最初に身肉が口の中から消え、皮ぎしが残る。
身肉には淡い甘みがあるのだが、残った皮ぎしはしっこりとして口を動かせ、噛むほどにうま味が膨らんで、顔を崩すのだな。
⑥ムール貝ではない。イガイである。
食感はムールのようだが、ムールの強さやいやらしさはなく、純なコハク酸のうま味だけを湛えている。
赤い貝と白い貝の中間の味わいといったらいいだろうか。
そんないい意味でのとらえどころない、かそけき味に惚れてしまう。
⑦アカミズの肉はたくましい。
鶏の胸肉のような凛々しい食感を響かせ、噛むことを求めてくる。
よし噛んでやろうじゃないかと噛み込めば、ずんずんとうま味がにじみ出て、箸が止らなくなる。
⑧「天然の天草を炊いただけです」。
そうおっしゃるが、これは心を洗う食べ物である。
噛んだ瞬間、清廉な海水が弾けて、溶けていく。
天草ではない。
海の甘露がここにある。
かに吉ならぬ なつ吉にて。