「クラランス」

日記 ,

「クラランス」のシェフ クストフ・プレ氏は、人見知りで大人しく、弱気なところがあるという。
お会いさせていただいたが、失礼ながらグランメゾンのシェフとしての威圧感がまったくない。
いや、それだけ繊細なのだろう。
食材との静かな対話に、全神経を集中させているせいなのかもしれない。
見事な大きさのラングステーィーヌの皿は、下にオゼイユが敷かれ、半生に加熱されたラングステーィーヌ、微かにトリュフが香る蕪、そしてキャビアが積み重ねられている。
キャビアは潮の香りと品のある塩気で、ラングステーィーヌの甘みを引き上げる。そこへオゼイユである。
まだ命の躍動を感じさせる人肌の海老が放つ甘い香りと緑の香りが、自然に寄り添う。
海老と草。離れたところで育まれた命のつながりを感じるのである。
それは、鹿肉と鰻、フォアグラを合わせた皿でも同様で、どの食材が際立つわけでもなく、一つの丸い宇宙を生んでいる。
見事な厚みのマトダイは、柚子こしょうを隠し味に加え、塩気を控えたヴァンブランソースとトリュフ、茸のラヴィオリが組み合わされる。
他の二皿と同様に、垂直に積み上げられたそれらを共に食べれば、マトダイの淡き甘みにそれぞれの香りがしなだれて、色気が漂い出す。
そこにはシェフの、どうだ面白いだろう。他にはない、味わいだろうといった問いかけは見えない。
敬愛すべき食材達の仲を繋ぎ、結び、響きあわせる。
新たな生命の結びつきを見つけ出し、育んでいく。
これらの料理は、そんなシェフの優しいまなざしが生んだ、我々が今まで気づいていなかった、地球の味わいなのかもしれない。