醤油をつけた刺身や、からすみを食べて、無性に酒が飲みたくなる、あるいはご飯が恋しくなるのは、過剰なる塩分に対しての、口内調整をしたくなるからである。
博多の割烹で昨日、上等なお造りやからすみの味噌漬け、イカのからすみ和えが出された。
塩分調整といっても、これを水では食べ進めない。
水は、調整というよりリセットであって、余韻が残らない,
しかし博多は一昨日から、飲食店でのアルコール提供禁止である.
この前時代的勧告もどうかと思うが、甘んじて堪え忍ぶわけにもいかない。
刺身を食べた時、からすみを食べた時、ああ、酒が飲みたい。なんとしても飲みたいと願った。
酒を一切飲まない知人が、割烹のコースが嫌い、刺身は嫌いじゃないけど、刺身だけ出されても食べない.
珍味も嫌い。
コースだったら、最初からご飯を出して欲しいと言ってる方がいて、今まで理解できなかったが、昨日は心底その方の思いがわかった。
元々懐石だの会席は、酒を飲むために構成されているのである。
「これは料理を考えなおさないといけないかもしれません」と、ご主人もおっしゃっていた。
ああ、酒が飲みたい。
「すいません。般若湯とか、お米を醸した液体とかはありませんか?」と、遠回しに聞いたが
「申し訳ないです」と、律儀である.
そこでせめて燗酒の気分を、脳内錯覚しようと白湯をお願いした。
すると白湯をとっくりに入れて、猪口を添えてくれるではないか.
「おひとつどうぞ」と、女将がお酌してくれる。
なんとも粋である.
酒に比べて、腰がないが、なんとかからすみの相手はしてくれる。
ただ気づいたのは、酒に比べて粘性がないため、猪口に注ごうとすると、すうっと流れ出ることはなく、ドボドボと出てきてしまう。
これは白湯としてのテクニックが必要である.
一本は、すぐに無くなった。
そしてお願いをした.
「もう一本つけてくれますか。今度は熱燗でお願いします」。