これが蕎麦屋の宝と言える料理だから

食べ歩き ,

棒についたそばがきを食べるという、稀有な経験をさせられた後には、頼んだ「わさびいも」と「玉子焼き」が、無事に出された。
しかし玉子焼きを出しながら、ご主人はまた変なことを言う。
「玉子焼きは、しばらく置いてから食べてね」。
それでは冷えてしまうではないか。
出来立ての湯気がまだ上がっている熱々を、「あちち」と言いながら食べるのがおいしいのではないか。
僕は指示を無視して、出来立てを半分食べた。
やはり今がおいしい。
あまり出汁に頼っていない玉子焼きで、卵の甘みが素直に生きた味は、ほっこりとした気分を運んでくる。
しかし残り半分は放置した。
わさび芋をゆっくりと食べ、放置した。
やがてぬるくなった玉子焼きを食べる。
するとどうだろう。
先ほどより卵の味が輪郭を増し、おいしいではないか。
熱々もおいしい。
だが人間が一番味を感じられる温度帯は、この放置後のぬるさなのである。
ご主人の指摘の鋭さにうなづいていると
「まだそば食べる?」と聞いてきたので、
「はい」と答える。
「何を食べる?」と聞くので、
「おまかせします」というと、初めてニヤリとされた。
「よしなら、そばが生きる最高の食べ方で、これが蕎麦屋の宝と言える料理だから」
そうして出来上がったのは「花巻そば」だった。
焙りたての海苔からの香りが鼻をくすぐる。
そばは先ほどの細平打ちと違う、極細打ちである。
ああ、ああ。
そばが唇を勢いよく過ぎ、口の中に入ってくると、海苔が香り、そばが甘みを滲ませ、つゆのうま味が広がっていく。
その三者が舞いながら、共に歌い、共鳴して、高みに登っていく。
その瞬間、わさびの香りが刺激して引き締める。
シンプルな種物のありがたみが、ゆっくりと体に充満していく。
「そば湯をください」。
最後に頼むと、せいろの辛汁の入った蕎麦猪口にそば湯を注ぎ、刻みネギと柚子片を入れて出してくれた。
変な蕎麦屋である。
それぞれに、こんな変わった食べ方は、今までしたことがない。
だが、そばへの愛が満ちている。
そば湯を飲みながら、今日の味を思い出す。
やがて愛に満ちたそば料理への感謝が、漣となって打ち寄せ、心が豊かになっていくのだった。
博多「あ三五」にて。