「九十九年目で、初めてやり方を変えました」。
そう森川さんは言われた。
松茸の土瓶蒸しである。
今までは、土瓶に松茸の傘をみっちり詰めて出汁を張り、蒸していた。
それは他に例を見ないやり方で、食べる者を圧倒する。
だが来年3月の閉店に向けて、予約が殺到した。
そのため、通常8~10席を14席に増やして対応している。
それまで土瓶に入れていた松茸を、出汁に入れてから土瓶に戻す。
なにしろ14人分の大量の松茸である。
香りや味が凝縮する。
「スケールメリットが出ました」。
そう森川さんがいうように、つゆが濃密となった。
「うっ」。
一口飲んだ瞬間に唸る。
香りもうまみも濃くなり、森の神秘を深めていく。
不思議なことに、さらさらとした汁が、とろりと粘度を感じさせ、唇や舌、上顎を舐め回す。
香りが鼻腔の細胞に染み入り。甘みがのったりと広がっていく。
それは「ぞくっ」とする刹那だった。
やがてお椀が出され、中には湯通しした鱧が一切れ入れられている。
そこへ土瓶のつゆを注いで食べる、浜作流のやり方である。
つゆを少し注ぎ、一呼吸して飲んだ。
するとどうだろう。
鱧エキスが溶け込んだのか、今までの怪しさは霧散して、優美に感じるではないか。
こうして僕らは、松茸の神秘と鱧の豊満に惹かれ、翻弄されながら、夜の深みへ沈んでいったのである。
京都「浜作」にて最後の土瓶蒸しを食べる。









