8回も子供を

食べ歩き ,

8回も子供を産んだという阿蘇の草原あか牛は、おそらく難産だったのだろう。
骨が曲がっていた。
右へ左へ曲がり、反った骨は、凄烈なる自然の足跡である。
生への烈しい愛の記録である。
サカエヤの新保さんは、受け取ったお母さん牛を1日寝かして休ませ、次の1日は24時間、5時間ごとにペーパーを変えて余分な自由水を取り、次の1日は別のペーパーで包んで休ませた。
新保さんから肉を受け取った「イルジョット」の高橋シェフは、保管庫で寝かしながら時を待つ。
イチボは叩いて丸め、炭火で焼き、牧草で炙り、グリンペッパーとクリーム、ごく少量のパルミジャーノを合わせてソースとして添えた。
燻した草の香りをまとった肉を噛めば、しんなりと肉が歯を包み込む。
しっかり噛んでいるのに、甘噛みをしているような感触がある。
続いて炭火で焼いたお母さん牛が登場した。
ガリっと音を立てる焦げた表面は、肉の旨味が凝縮して鼻息を荒くさせる。
そして噛めば、肉のエキスがどっと流れでた。
彼女が生きぬいた証が、サラサラと舌を流れていく。
さらに噛んでも、エキスは止まることがない。
「噛んで、もっと噛んで、私を感じて」。肉が囁く。
彼女を育てた東海大学の先生や生徒たち、新保さん、高橋シェフ。
関わった全ての人たちの牛への敬意が繋がり、思いが詰まったその肉は、真実の味がした。
それは、食べながら次第に膨らんでいく感謝の念に頭を垂れ、天を仰ぐ、命の交換の瞬間なのかもしれない。