赤坂「鴨川」

さようなら。

食べ歩き ,

So Long VOL1
「いらっしゃいませ。牧元さん、今日は丸々と太った、いい白子が入ってますよ」。
冬が近づくと、そう言って出迎えてくれる女将さんの笑顔を思い出す。
女将さんの手によるフグの蒲鉾で作る金箔しんじょに、フグの卵焼きといった前菜や、絶妙な加熱具合で盛り付けてくれるフグちり、三段階に変化させて食べさせてくれる雑炊の味わいを思い出して、舌舐めずりをする。
「鴨川」の創業は、昭和43年になる。
向島の割烹や安房鴨川の老舗旅館で調理長を務めていたお父様が始められた店である。
女将である大菅孝子さんは、開業して半年後に大学を卒業し、すぐ店に入った。
なにしろ昨日までは学生である。
知らないことだらけだったという。
「蛎殻町の下町育ちでしたから、言葉が少々乱暴で早口でした。ですからまずは、丁寧な言葉で、ゆっくりとしゃべることを心がけました」。
当時は昼から深夜まで営業していたので、相当なハードワークだったはずである。
しかし大菅さんはそんなことよりも、フグ屋なのにフグを食べないお客さんが多かったことが、なによりの苦労だったという。
まだフグは一般的なものではなく、危険なものとも思われていた時代である。
「いくら安全ですよと申し上げても、フグはいらないから寿司を取ってくれというお客様がいた時代でした」。
だから大菅さんの夢は、おのずと「誰でもフグを好きになってくれること」だったという。
そのためには、フグのことを探求した。
結婚し、子供が生まれても、赤ちゃんを背負いながら勉強し、フグ調理師免許も取った。
今でも1年中、毎日フグを食べ、季節の移り変わりや微妙な個体差などを、味わっているという。
「フグは知っても、知っても、突き当たることがない。本当に面白いです」と、微笑まれた。
「素敵なお客様はたくさんいらっしゃいます。でも本当に素敵な方は、骨だけになるまで、よくよくしゃぶって、きれいに食べられる方ですね」。
フグをこよなく愛す、大菅さんらしい言葉である。
「おいしいものを、自由に伸び伸びと」。
85歳まで調理場に立たれたお父様の口癖である。
おそらく、裕福な人たちだけが通う割烹から独立し、赤坂に店を開いたのは、もっと多くの人に、おいしいものを提供したいという一念だったののだろう。
今でも天然だけを扱う「鴨川」は、当然ながら価格も高い。
しかし堅苦しい雰囲気は微塵もなく、温かく我々を包み込んでくれる。
それもお父様の言葉の真意を受け止めて、店を守り続けている大菅さんの心意気なのだろう。
 創業当時は、父、母、娘である大菅孝子さんの三人で、懸命に働いた。
「我々は三本の矢であり、器の鼎だ。だから強い」と、お父様からよく言われたという。
 現在は孝子さんと息子さん、25年働かている従業員三人でやられている。
「ありがたいです。このままの鼎であることに、本当に感謝しています」。
 長くやりつづけられた秘訣は、この盤石な鼎があったからこそであろう。しかし孝子さんは他に二つ理由を掲げられた。
 「お客様が、ずうっと温かく見守ってくださったことと、仕入先が変わっていないことです」。その気持ちこそが商売の基本である。
最後に「女らしさは?」と尋ねてみた。
「信念はあるけど、こだわらないことかしら」と、しばし考えて答えられた。
「男性は折れない三本の矢を思い浮かべるけど、女性はゴムの3本。しなやかで折れないの」。
「後三年で、開業50年。それまでなんとかやりたいの。できるかしら」と、可愛い笑顔を浮かべられた。
いや三年と言わず、十年二十年。僕らに幸せを運び続けて下さい。
この話を書いたのが2018年
最後に訪れたのが今年の1月である。
50周年を過ぎ52年目となった今年末、大菅さんはひっそりと店を閉じられた。
お疲れさまでした。
ありがとうございました。