あなたはカニコロッケにナイフを入れるとき、緊張しませんか。
「さあ早く、わたしにナイフを入れてごらん」と、皿の上で誘いかけるカニコロッケに、どぎまぎしませんか。
もちろん他のフライでも胸が高まるけど、カニコロッケはちょいと違う。中のソースの色は何色だろう?
切った瞬間ペシャメル(ホワイト)ソースは、とろりと流れ出るのか、出ないのか? カニはたくさん入っているだろうか?
カニ以外になにが詰められているのかな?と想像を膨らませるので、切る瞬間に向けて気持ちがぐんと高まっていくのである。
ここにカニコロッケの魅力があるように思う。
形状も味わいも、カニの含有量も風味の抽きだし方も、
値段もソースも千差万別、十人十色。だが切る瞬間のときめきは不変である。それはシェフの考えを開封する面白味なのでもある。
ナイフを入れるときの緊張、それはどんな店でも変わらないが、やはり高級店ほど度合いは増す。
例えば資生堂パーラーがそうだ。きめ細かい衣をまとったまが玉型のコロッケにえいっとナイフを入れれば、
カリリと軽い音がして、衣が割れる。途端にほの甘い湯気が立って、中からごろごろとカニの固まりが混ざった、
ペシャメルソースが現れる。たまらず口に運べば、広がっていくのは凝縮したカニの風味。フランス料理のアメリケーヌ・ソースのような、
甲殻類ならではのうまみが詰まった濃密な味わいである。
ペシャメルソースは、あくまでカニの補助。かなり高価で食べるには勇気がいるが、
カニの持ち味を見事に引き出した価値ある逸品として紹介した。
もう少しお手軽にというなら、麻布食堂はどうだろう。カリッと揚がったしずく型コロッケの細かい衣にナイフを入れれば、
ぽってりとした舌触り滑らかなソースが顔を出す。まずはなにもつけずに一口。
こちらもカニの風味が濃厚で、舌にうまみがずんずんとのって来る。ニンジンやポテトグラタンといった付け合せも手抜きなく、
お値打ちのカニコロッケだ。
最後の一軒はとんかつ屋。風情漂う一軒家のゆたかだ。ここを推す理由は、厚みにある。サクッと軽く、
狐色に揚がった俵型のコロッケには、十分な厚みがあって、衣を切ると、中からだらりと垂れるように黄色いソースがあふれ出る。
体躯がでかいので、食べるとカニの風味が口に充満するのだ。そのままでも十分おいしいが、やさしい味わいのマヨネーズをつければ、
猛烈にご飯が恋しくなってくる。ご飯、赤だしも質が高く、ほのぼのとしたおいしさを運んでくれるコロッケだ。
銀座・資生堂パーラー
資生堂ビル2、3階で供される「クラブクロケット トマトソース」は三千二百円。一般的なレベルからすると大変高価ではある。しかしカニコロッケという一つの料理の頂きを極めた感が伝わる、風格漂う逸品である。 まが玉型をしたコロッケで、長さ約六センチ、高さ約三センチ、最大幅約四センチ。皿一面にソースが敷き詰められた上にコロッケが三個置かれ、揚げパセリが上に飾られている。きめ細かい衣にナイフを入れれば、淡黄色のペシャメルソースに蟹の赤がゴロゴロと入っているのが見える。小さい身なりながら、アメリケーヌ・ソースのように、濃厚な甲殻類特有の旨味と香りが凝縮した味わいがあって、一口毎にうならせる。トマトソースも上品。ペシャメルソースも実に滑らかで、夢見心地を後押しする。
浅草・ゆたか
路地に佇む風情漂うとんかつ屋。とんかつ以外の揚げ物にも定評のある当店の「カニコロッケ」は、千二百円。中粗の衣をまとい、サクッと油を感じさせない揚げ切りのよさで、薄い狐色に揚げられた俵型のコロッケは、長さ約七センチ、高さ幅とも五センチ弱。 この高さと幅による容量の大きさがこの店のコロッケの魅力で、衣とともに黄色いぽってりとした重みのクリームソースをほおばれば、口一杯にカニとクリームの味が満たされる。付け合せは千切りキャベツ。やさしい味の自家製マヨネーズ添え。三百円でつくご飯、赤だし、漬け物の脇役陣は、いずれも質が高し。